英語の前置詞“for とto”の使い方の違いを教えて!
次の文の違いについて考えてみよう。
1 Hanako went to Kyoto.
2 Taro left for Kyoto.
1は、花子は京都に行った。2は、太郎は京都に向けて出発した…となる。
1は京都の地に到達していることを意味し、2は、京都に向かっていること(だけ)を示している。
この様に、“for”は、「方向」だけを指し示し、前置詞の主語が目的語に到達するという意味を含まない。
一方の“to”は、方向のみならず、すでにそこに「到達」している意味を有している。
「到達」の意味を持つ“to”と、「方向」の意味を持つ“for”を持つ、次の熟語を比べてみたい。
3 A make for B
4 A lead to B
5 A be bound for B
6 A drive to B
7 A start for B
8 A come to B
9 A head for B
10 A get to B
3は、AがBの方へ進む 4は、AがBに通じる 5は、AがBへ向かっている 6は、AがBへ車で行く 7は、AがBへ出発する 8は、AがBに来る 9は、AがBへ向かう 10は、AがBに着く・行く
…となる。
夫々(それぞれ)、前置詞の持つ意味を踏まえると、意味が取りやすいと思う。
先程の“left for”と“went to”も、次の例文で一層分かりやすくなるだろう。
・太郎 left for school at 7:30. と、・太郎 went to school at 7:30.の二文を比べるてみる。
前者は、太郎は、7時半に学校に出掛けた(家を出たのが、7時半)ことになるが、後者は、太郎が7時半に家を出たのか?
7時半に学校に到着したのか?が、曖昧である。
後者の文では、文脈から内容を予想しなければならないのだ。
これが、・太郎 gets to school at 7:30.とあったら、太郎は7:30に学校に到着するという意味になり、7:30は学校に「到着する時刻」を指すこととなる。
次の二つの熟語も興味深い。
それは、A listen for B と、 A listen to Bである。
A listen for B は、A(人)がB(まだ鳴っていない音)を聞こうとして耳を傾けていることを示している。
一方、A listen to Bは、A(人)がB (すでに鳴っている音)に耳を傾けている状態を表している。
また A listen for B は、A wait for Bに似ている。
前者が、(人は)まだ鳴っていない音を聴こうとしているように、後者も、まだ現れていない人(B)を、Aが待っている状態にある。
以上をまとめると、
【空間】にあっては、forは、「まだ達していない」が、toは、「達している」。
【知覚】では、forは「まだ感じていない」が、toは、「既に感じている」ということになる。
前置詞の持つ意味を知り、そのパワーを活用することで、熟語遣いが、上手くなるに違いない!
お正月の「三ヶ日」の過ごし方について教えて!
今年もあと一週間余りとなった。気になるのは、年末年始の過ごし方。
まずは近隣の神社仏閣に、誠心誠意お詣りすること。除夜の鐘はご存知の通り、新年を迎えるにあたって、108つといわれる煩悩を祓い、自分自身をオールクリアにするもの。
お寺で除夜の鐘を聞き、清浄な心を取り戻す。
その心持ちのまま年が明けたら、日頃お世話になっている氏神様に、心を込めて御礼申し上げる。
あとは日頃から心に留めている神社に、好きなだけお詣りするといいだろう。
その上で、日頃とは違う雰囲気の中、勉強と向き合うととても楽しい。
受験生は、放っておいても勉強するだろう。《しない受験生もいるが…》
受験と関係ない人ほど、お正月の「三ヶ日勉強」というのは楽しいものだ。
何しろ全国一斉に、お正月をお祝いしているから、世間の空気が新鮮で、豊かに拡がっている。
この最高のエネルギーを全身に受けて勉強すると、日頃の勉強に対する「怠惰(たいだ)な空気」や疲れを引きずったような「負のエネルギー」が、雲散霧消(うんさんむしょう)する。
日頃から充実して学んでいる人も、更に効率よく学ぶ事ができ、やり方次第では、「神懸かり的(かみがかりてき)」に勉強が進むだろう。
「三ヶ日勉強」では、何を勉強してもいいし、読書三昧(ざんまい)するのも良い。
中でも「基礎中の基礎」を掘りさげる事で、「土台力」ともいうべき基礎学力が身につき、オマケとして「自信」がついてくる…!そんな「三ヶ日勉強」をお薦めする。
例えば英語など、Be動詞・一般動詞の所からざっと見なおしていくと、どこで躓(つまず)いたかがわかってくる。
どの教科も基礎が大事だが、中でも英語は、理系・文系を問わず、どんな大学入試でも必要な教科で、基礎力がなければ、二進も三進も(にっちもさっちも)行かない。
学年に関係なく、基礎から豊かに学ぶと、勉強することに対して抵抗感が薄れるだけでなく、学ぶことの楽しさを知ることとなる。
中学から高校までの6年分がまとめてある類い(たぐい)のテキストやドリルを用意し、基礎から見直していく時間を「三ヶ日勉強」で確保すると、「三ヶ日」で自分自身が生まれ変われることもできる。
世の中が新年を祝うお目出度い三日間を無駄に過ごすより、有意義な「三ヶ日」を過ごして欲しいと切に願っている。
どうして「冬至」に南瓜(かぼちゃ・なんきん)を食べるの?
一年中で昼が最も短く、夜が最も長いのが「冬至」だという事。これは誰もが知っている。
今年は本日12月22日が「冬至」となっている。
この日、太陽は南回帰線(みなみかいきせん)の真上にある。
これは赤道の南北、緯度23度27分の緯線のこと。北のを北回帰線(又は夏至線=げしせん)、南のを南回帰線(又は冬至線)と言う。
北回帰線上では、「夏至(げし)」の日に、南回帰線上では、「冬至」の日に、太陽が真上に来る。
これを極限として、太陽は南または、北へ回帰する。両回帰線の間にあるのが熱帯である。
前置きが長くなったが、北半球では今日、「正午の太陽の高さ」が最も低くなる。
昔、中国では「冬至」を、暦の起点としていた。
この日を境に太陽の力が復活することから、『易経(=えききょう)』には、「一陽来復」と記されているのだ。
日本にあっても、この日を一年の節目としてお祝いする風習がある。
特にこの日が、旧暦の11月1日にあたると、朔旦冬至(さくたんとうじ)と言って、喜ばしい兆しとされ、宮中では祝宴が催されたと言う。
2000年以降では、2014年にこの朔旦冬至が巡っている。
朔旦冬至は、ほぼ19年に一度のことで、これを吉日とし、公卿(くぎょう)は賀表(がひょう=祝意を表して奉る文)を奉り、天皇様は紫宸殿(ししんでん)に出御(しゅつぎょ=天皇・三后〈さんこう〉がお出ましになること)し、朔旦冬至をお祝いした。
これを「朔旦冬至の旬(しゅん)」とよび、後日、「豊明節会(とよのあかりのせちえ)」に、朔旦叙位(じょい)・恩赦(おんしゃ)まで行ったと言われる。
冬至には、南瓜・小豆粥(あずきがゆ)などを頂くが、これは「冬至」に村里を巡って春を呼び戻すという「神の子(大子=おおいご・第1の姉の敬称)」を祀り、供え物を神様と共に頂く…というしきたりから来ているとか…!
「冬至」に南瓜を食べると中風(ちゅうぶ)避けや風邪をひかないと言われている。
おそらく冬場の栄養補給の為に、栄養価の高い南瓜を食したのだろう。小豆粥は、小豆の赤色が邪気を祓うとされ、「冬至」にピッタリの食べ物であった。
又、この日、柚子湯(ゆずゆ)に浸かって温まると、風邪をひかないという言い伝えがある。
柚子には血行促進効果があるため、神経症・冷え性・腰痛などを和らげてくれる効果が期待される。
更には、五月の菖蒲湯(しょうぶゆ)と同様、身を清める「禊(みそぎ)」の意味合いもあるから、是非試したいものだ。
「冬至」を境に寒さが一段と厳しくなる為、冬を元気に乗り越え、春を迎えられるように、古(いにしえ)から続く「習わし」に心をいたし、早速、南瓜を頂き、柚子湯に浸かってみては如何かな?
中国当局によるウイグル人への弾圧について教えて!
今年、2019年11月16日、中国政府関係者が、米国ニューヨーク・タイムズ紙にウイグル人に関する文書をリークした。
中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区で、100万人以上にのぼるイスラム教徒(主にウイグル人)が、中国共産党の「再教育」キャンプに、「強制収容」されている問題について、弾圧の実態が記された「共産党内部文書」を入手した…と、報じているのだ。
これに拠れば、習近平(しゅうきんぺい)国家主席は、イスラム過激主義について、ウイルスと同じで、痛みを伴う積極的な治療でしか治せないと考えている…と言う。
中国当局による弾圧は、2017年頃から更に酷くなっている。
その原因の一つが、2014年新疆ウイグル自治区の鉄道駅で、31人が亡くなった、ウイグル人による無差別攻撃の影響と見られている。
この後、習近平主席は、明確に「情け容赦無用」の指示を出している。
2016年に、陳全国(チン・クウアンゴ)氏が、ウイグル自治区の党書記長になると、収容施設の数が異常なまでに増えていった。
陳氏は、拘束すべき者達を一網打尽(いちもうだじん)にせよと促しているのだ。
100万人もの人々が、宗教を理由に強制収容される…という、文化的ジェノサイド(genocide=大量殺戮)並びに、虐殺・強姦・強制移住・妊娠できないようにする手術や注射を施す…などの民族浄化(ethnic cleansing=エスニック・クレンジング)が、想像以上に実施されている可能性が高い。
習近平国家主席は、「情け容赦は無用」だとして、新疆ウイグル自治区の人々を弾圧し、日本に来ているおよそ2000人のウイグル人とその家族も、対象となっている。
こうなると日本も他人事として捉えている訳にはいかない。
更には沖縄を日本から独立させようとする勢力もあり、中国の食指(しょくし)が日本へと動く可能性も無視出来ない。
最近の世界の動向を見ていると、「世界の歴史」に反駁(はんばく)するかのような動き…例えばジェノサイドなどが横行しているように見える。
今後も中国の動向を注視する必要があると共に、世界中からジェノサイドやエスニック・クレンジングを撲滅させる考え方を、日本人の一人一人が身につけねばなるまい。
「昆虫テクノロジー」って何なの?(2)
昨日述べた「MUSCA」の「イエバエテクノロジー」で用いるイエバエは、普通のイエバエより成長速度が速く、高密度で飼うことに適しているハエである。
また普通は、高密度で飼えば、死んでしまうハエが出てくるものだが、「MUSCA」のハエは大丈夫らしい。
しかも一度に大量の卵を産卵するというから、まさにこれはイエバエ
のサラブレッドだと言われている。
下記には、肥料・飼料にイエバエの糞尿を加える事で実現する効果についてまとめる、図に示している。
【肥料】イエバエ肥料は、生産物の糖度を上げ、収穫量を増加させる事ができる。
更には生産物の成長を促進させ、抗菌作用もあり、根張りが良くなるなど様々名効果が証明されている。
イエバエ肥料を用いた土壌は、フカフカで微生物バランスも最適で、土壌の病原菌抑制まで出来るという。
【飼料】魚の飼料と成る魚粉に「イエバエ飼料」を混ぜて飼料する事で、魚粉の使用量をへらせる。
しかも通常の餌を与えた時と比べて、大きさが4割増しになっている。
更に、免疫向上・食いつき向上・ストレス低下などが確認されている。
《世界の食料危機解消を目指して・・!》
イエバエによる処理
・一週間で処理が終わる。
・屋内で処理する→発酵ガスや汚臭放出が抑制される。
・窒素分は幼虫が吸収→低窒素
有機肥料→窒素(タンパク質)循環システム
・外気温に影響されない
☆イエバエの幼虫が窒素分を吸収すると飼料に変換される!
以上の様に、「サラブレッド・イエバエ」を用いることで、100%のリサイクルを可能にする循環システムを構築する事が出来るという。
今後もMUSCA以外の企業もどんどん「昆虫テクノロジー」事業に参入する事で、食料危機問題を始め、多くの世界的規模の難題解決の糸口が見つかるのではなかろうか?
「昆虫テクノロジー」って何なの?(1)
現今の世界を見渡せば、迫り来る食料危機や増え続ける有機廃棄物等々…地球温暖化以外にも数多くの難題が山積みされている。
国際連合に拠れば、現在約8億1500万人が、飢餓状態に陥っているという。
これは9人に1人の割合になる。しかもアフリカでは、4人に1人が栄養不良に悩まされて続けている。
近年「飢餓人口」は減少傾向にあったものの、2017年再び増加に転じている。
そんな中で今期待されているのが、「昆虫テクノロジー」だ。
国際連合が今掲げているSDGs(持続可能な開発目標)17項目のうち、14項目を網羅する「昆虫テクノロジー」が、次に述べる「(株)MUSCA(ムスカ)」が誇る「イエバエテクノロジー」である。
45年間で1100世代に及ぶ「イエバエの品種改良」を実現し、「イエバエの優性遺伝子」を守り続けた事で、イエバエという種が持つ可能性を開拓し、今までになかった新しい資源を作っているのが、「(株)「MUSCA(ムスカ)」だということができよう。
そもそもこの「MUSCA」という社名は、何処から来ているのか?と言えば、イエバエの学名である「ムスカ・ドメスティカ」から命名されている。
「MUSCA」はまさに、「昆虫テクノロジー」スタートアップ企業なのだ。
この会社は元々宮崎県に拠点を構えていた「(株)フィールド」が、ロシアから技術を輸入したことに始まっている。
この輸入技術の中に、「ハエの研究」があったという。
2006年には「(株)アビオス(現MUSCA)」として独立し、「(株)フィールド」で行なっていたイエバエ研究を中心に、ロシアからの「技術輸入事業」も、「アビオス」が引き継いだ形となっている。
「MUSCA」は、イエバエの1100世代に亘る地道な品種改良を経て、畜産糞尿を肥料や飼料として、100%リサイクルする「循環システム」の実用化を始めている。
宮崎大学や愛媛大学との共同研究では、プロダクトである肥料と飼料は、成長促進効果や病気耐性付与効果がある事を実証している。
この技術を用いれば、世界中の食料危機の解消も夢ではないかもしれない。
クリスマスに寄せて!!(2)クリスマスの飾りについて教えて!
クリスマスと言えば、クリスマスツリーを飾る…と、相場は決まっている。
1605年ツリーが飾られたという記録が、フランスに残っている。一説には、十六世紀にマルチン・ルターが始めた…とも言われている。
クリスマスツリーには、モミの木などの常緑針葉樹(じょうりょくしんようじゅ)を用いる。
常緑針葉樹は、一年を通じて緑色を帯びた葉をつける樹木で、「永遠」を標榜すると共に、「太陽と生命」のシンボルだとされている。
更に、クリスマスツリーの飾り付けをするのは、「天使」の仕事だとされ、「天使の髪の毛」に見立てた「銀の糸」を、ツリーの飾り付けの最後に、上から円を描くようにかけて飾るのが正式な飾り方だ。
クリスマスツリーを用意するのは仰々(ぎょうぎょう)しい…と言う事で、「クリスマスリース」を飾ることがある。
輪は「永遠」を意味し、「新年の幸せを祈念する…」という意味を持つ。
西洋柊(ひいらぎ)の赤い実や松ぼっくりは、「収穫のシンボル」として、古くから連綿と受け継がれている。
また神聖な雰囲気を醸(かも)し出すクリスマスキャンドルも、クリスマスの定番アイテムである。
キリストとは「救世主」を意味し、「世の中を照らす光」であることから、キリストの「愛」を表現するキャンドルを灯すことは、重要な意味を持っていると言えよう。
このようにクリスマスを彩る様々な飾り付けを通じて、視覚的にキリストの愛を体現する工夫がなされているようだ。
クリスマスを演出する飾りを少し楽しむだけで、心がほっこり和やかになる気がする。
クリスマスに寄せて!!(1)クリスマス菓子について教えて!
クリスマスに欠かせないのが、世界中にある伝統的なお菓子。
中でも、フランスの「ブッシュ・ド・ノエル」やドイツ菓子の「シュトレーン」、イタリアの「パネトーネ」・英国の「クリスマス・プッデイング」などが有名である。
「ブッシュ・ド・ノエル」は、「クリスマスの薪(たきぎ)」という意味で、薪や切り株の形をしたケーキのこと。
どうしてこの形になったのか?というと、リトアニアの神話に、前年の薪の燃え残りの灰が、火傷(やけど)の薬や火事・雷除(かみなりよ)けの呪(まじな)いになった…という話があって、ここから発想されたケーキだと言われている。
上に飾られている茸(きのこ)型のお菓子は、生命の誕生を表現し、キリストの生誕をなぞっているらしい。
次にドイツ菓子「シュトレーン」は、「坑道(こうどう)=炭鉱や鉱山の坑内に作った通路のこと」という名の通り、トンネルのような細長い形をしている。
これはイースト菌を加えて作るお菓子で、ドライフルーツやスパイスを生地(きじ)に練り込み焼き上げている。
表面にはたっぷり粉砂糖がまぶされていて、これは幼子(おさなご)イエスが、「産着(うぶぎ)で包まれている様子」を表現しているのだという。
イタリアの「パネトーネ」は、自然酵母「パネトーネ種(だね)」を用いたパン生地に、ドライフルーツ・ナッツなどを練り込んで焼き上げたもの。
どうしてパネトーネ種を用いるのか?というと、パネトーネ種を用いることで、長期保存ができる為、クリスマスプレゼントとして、国内各地はもとより、海外にも送ることができるらしい。
最後の「クリスマス・プディング」だが、これはドライフルーツや牛脂・果物の皮などを練り込み、型に入れ、そのまま寝かせてクリスマスの日に蒸すという。
英国では、各家庭のオリジナル・レシピがあるらしい。
プディングを作るプロセスの中に、お呪(まじな)いをするなどの「儀礼的要素」もあるようで、英国では、このお菓子に対して、並々ならぬ思い入れをする家庭が多いようである。
世界各国に伝わる様々な「クリスマス菓子」を楽しむことで、日本に居ながらにして、各国のクリスマスを楽しむ事が出来るように思う。
「パンとサーカス」って何のこと?
昨日お話しした「パンとサーカス」というのは、詩人ユウエナリスが古代ローマ社会の世相を揶揄(やゆ=からかうこと)して「詩篇(しへん)」で用いた言葉のである。
権力者から無償で与えられた「パン…食糧」と「サーカス…娯楽」によって、ローマ市民が政治的文盲(もんもう)となっていることを示唆しているのだ。
為政者にとっては、社会秩序の為に、まず何よりも優先して、人々の腹を満たすことが大事!
人間は腹を満たしたら、次に欲するのは娯楽である。
それがサーカス。
現在のサーカスと違って、当時の「サーカス」は、「競馬(けいば)」と「剣闘(けんとう)」である。
時にコロッセオで人間同士が、あるいは人間と猛獣が闘い、それを大衆は見学したのだ。
精神的劣化が進んでいた大衆は、血なまぐさい剣闘を愉しみ、荒々しい競馬に狂喜乱舞したという。
ポエニ戦争後のローマは、中小自作農民が土地を手放し、都市部へ流入した。
しかしそんな彼らに仕事はなく、彼らの不満はいつ爆発してもおかしくない状況にあった。
繁栄を誇る当時のローマ帝国!にも関わらず富裕層は、一部の限られた人間だけ。
そこで権力者は大衆による「反乱防止策」の一環として、大衆に「パンとサーカス」をあてがった。
これによって政治的指導者は、大衆の目を逸らし、大衆をコントロールしたのである。
パンは人々の食欲を満たし、人々はサーカスによって快楽を享受した。
「パンとサーカス」という、権力者側の人間による「大衆の目を欺(あざむ)く」巧みな装置があったのだ。
このありようを批判したのが、「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」という名言で有名な、上記の諷刺(ふうし)詩人ユウエナリスであった。
多くのローマ市民が、無条件に「パンとサーカス」をあてがわれていると、健全なる精神が芽生(めば)えるはずもなく、彼らはどうしようもない「愚民(ぐみん=愚かな大衆)」と化す。
これが権力者にとって、好都合な人間となる。何となれば、何もわからない人間は扱い易いからだ。
現在でも「愚民創出」の基本的手法は、何ら変わっていない。
そういった意味で、行政サービスに頼り切った生き方はそれ自体が健全とは言い難い。
今こそ、政治的に無関心な「盲目的大衆」とならない為に、自国並びに世界情勢に関心を寄せ、思考力を磨き、熟考できる一般人となる努力が求められているのではなかろうか?
尖閣諸島・竹島・北方領土は日本の領土ですが、現状はどうなっているの?
「尖閣諸島」周辺の領海の外側にある接続水域で、本日12月15日、海上保安庁の巡視船が、中国海警局の4隻の船が域外に出るのと、別の4隻が入るのを確認したという。
「尖閣」周辺では、令和元年12月9日から、本日12月15日までの7日間連続して、中国当局の船が確認されている。
本日15日に入域した4隻のうちの1隻には、機関砲のようなものまで搭載していることを、那覇の第11管区海上保安本部は把握している。
無論、海上保安庁の巡視船は、中国当局の船に対して、日本の領海に近づかないよう、何度も警告を発している。
しかし尖閣周辺に対する中国の執拗な入域は止む事がない。
日本人は、自国の領土を掌握することに対し、実に無頓着である。
上記の如く、毎日のように、「尖閣諸島」や「竹島」をめぐって、中国や韓国の魔の手が伸びている。
にも関わらず、のほほんと生きる日本人の何と多いことか?
憲法9条さえあれば、他国から攻撃されない…とでも思っているかに見える。
日本の領土である「北方領土」への占拠は、スターリンによる国家犯罪であり、「竹島」の占拠は、李承晩(りしょうばん)による「李承晩ライン」が、ベースとなっている。
「竹島」が正式に日本の領土として編入されたのは、明治38年のこと。
かつて絶海の孤島であった我らの「竹島」は、韓国による長年の実効支配によって、埠頭(ふとう)やヘリポート・警備隊の宿舎など、数多くの施設が、すでに「竹島」に作られている。
「竹島」には、年間およそ20万人ほどの韓国人が訪れているともいわれている。
日夜世界は動いている。
人間界における弱肉強食の世界に、ウンザリする。
然し乍ら、現実はやはり野蛮な弱肉強食の世界が、現今の世界の実情である。
そんな中で生き残るためには、人生に於ける内省力と推進力の双方を身につけるべく邁進する国民を、数多く育てなければなるまい。
考える力が養成され、熟成されている国民が、どれだけの数いるかどうか?に一国の命運がかかっている。
古代ローマの「パンとサーカス」ではないが、目の色を変えてB級グルメを堪能しても、世界に目を向けようとしない国民には、明日はないのだから…!