お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

受験に失敗しました。まだ気持ちが整理出来ません。どうすればいいの?

もうそろそろ入試が終わり、桜の開花予報が出る頃じゃ。
待ちに待った春が訪れる。誠に美しく、良い季節になってきたのう。

4月からの新学期を前にして、身も心もリフレッシュして春を謳歌したいところだが・・。
受験に失敗した人間にとっては、ほろ苦い季節かもしれんなあ。

受験というのは、いくら頑張って勉強したとしても、根本的な意味での勉強方法が間違っていたり、試験のプレッシャーに負けたり、妙なプライドが邪魔をして、失敗することがある。
その一方で、実力がないのに、不意に合格する場合もある。

前者・後者ともに、どっちもどっち、五十歩百歩。
どちらも今後の自分が、自分の人生を生き生きと、行き渡っていく「エネルギー供給源」を、如何に見出していくかが鍵となるのう。
合否の結果に、一喜一憂する人間は、相当に〔身勝手〕で、〔欲深く〕、〔未熟〕で、〔先見の明に疎い〕輩であることは、先ず間違いない。

人間万事塞翁が馬」(にんげんばんじさいおうがうま)という言葉がある。
淮南子(えなんじ)に、塞翁の馬が逃げたが、北方の駿馬(しゅんめ)を率いて戻ってきた。
喜んでその馬に乗った息子は落馬して、足を折ったが、そのお陰で兵士とならずに、命を長らえたという故事じゃ。
人生は吉凶・禍福が予測出来ないことの例えとしてよく用いられるのう。

受験に失敗した君達!安心せよ!そして心して、喜べ!
世間的基準の上に成り立つ入試に、今回乗ることができなかったお陰でやれることがある。

それは、人知れず〔自分自身を、自分の手で磨くこと!〕

入試や定期テストで、自分を判断せずに、本当に自分のためになること、実力のつくことに心を尽くし、実践する。
そこに自分のためだけの巨大エネルギーが巡ってくる。
しかもそのエネルギーたるや、無尽蔵。
いつでもどこでも供給可能なエネルギー。

これを手に入れるには、自分を丁寧に生きること。
自分の内面を豊かに拡げるあり様を模索し続けること。
先に記した「塞翁が馬」の故事で、もし駿馬に乗った息子が、注意深く慎重に乗馬していたら、落馬しなかったろう。
その為に兵士となって、戦いの前線に立ったとしても、功を挙げたやも知れぬ。
その後、戦場での功労やその後の社会参画が認められ、豊かな老後を過ごしたかもしれぬのじゃ。

先日こんなニュースがあった。
戦時中に、ある女性との結婚を夢見ていた、空軍のパイロットが、戦後彼女を探したものの音信不通になっていた。 二人はその後それぞれ結婚し、子供が生まれ、子供達も皆成人していた。

元空軍パイロットだったその人は、還暦を過ぎてなお、矍鑠(かくしゃく)としていて、久しぶりにパラシュートの練習を始めた。何と彼は「ノルマンデイー上陸作戦」で生き残った兵士だったんじゃ。
さきの兵士とその女性は、共に再び会いたいと思っていて、そのことをそれぞれの子供達が知り、お互いの親の相手をインターネットで検索した。
すると、還暦を過ぎてパラシュート訓練をする元空軍兵士がいる・・ということから、兵士を特定でき、再会を果たしたという。

いつまでも自分が自分らしくあろうと努力した結果、初恋の相手と再会したのじゃ。

自分を諦めず、自分自身に挑むことで、新しい未来が拓けていく。
今年こそ〈自分に豊かに挑む春〉にしてみてはどうかな?