お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

平成時代が終わるというのは、一体何を物語っているの?

あと1カ月で、平成が終わる。何はともあれ、戦争の無かった稀有な時代であったとも言えよう。
その一方で、大小含めれば、夥しい数の自然災害に見舞われた。
結果的には、戦争が起り、死傷者を出した・・に匹敵するほど多くの方々が、大怪我を負い亡くなっておられる。
近隣諸国との諸問題も、出口の見えぬ問題が多い。
世界を見渡せば、この30年で様々な紛争・戦争が起こっておる。

ご高齢の今上陛下に無理をお願いすることは出来ぬものの、平成が中途半端な形で終焉することに、少なからず違和感を覚えるのじゃ。
そこには國魂(くにたま)のような、日本國民の無意識の意識総体が、目に見えぬ形で顕在化していると考えられぬか?
其れを体現なさっているのが、天皇陛下だということができよう。

斯くして、その時代時代における「國民の無意識」が、今上陛下(当代の天皇陛下)ご自身の玉体に、ダイレクトに立ち現れる事実と直面する。
このことを鑑みる時、日本国民は平成という時代を、どう捉え・如何に生きたか?これが問われるところじゃ。
この質問に明確に返答出来る日本人は極めて少なかろう。

何となれば、この度の御世代わりを、今上陛下から皇嗣(こうし・・天皇の世嗣)であらせられる皇太子殿下へと移り、元号が変わるだけの事だと捉えている輩(やから・・ともがらのこと)が、あまりにも多いからじゃ。
全くの他人事と思わぬじゃろうが、然りとて、自分自身が、「自分の平成総決算」をし、新しい時代を生きる「当事者意識」を確立しようとする決意が欠落しておりはせぬか?

天皇陛下という存在は、日本人の無意識を映し出す鏡の役目を果たしておられるに過ぎない。
そこには、国民主権ならぬ、草莽の臣(そうもうのしん・・在野の人)として、國を下支えしようとする「国民決意権」が必要じゃ。

國民が自國を下支えしようとする決意の上にたつ。
この決意の上に、ヒツギノミコであらせられ、新天皇となられる東宮(とうぐう・はるみや)様が、新時代を拓かれるに相応しいお振る舞いをなさる事がおできになるのじゃ。

平成が、中途半端に終わることへの哀感を、新時代に向けての充実した日常への向かい方へと昇華させる努力が、日本國民に求められているように思えるのう。