お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

ノートルダムが燃えたのが、ショックです。そこで改めて、ノートルダムを舞台に書かれた「パリのノートルダム」について知りたいです。

「パリのノートルダム」は、ヴイクトル・ユゴーの著作で、日本ではかつて「ノートルダムのせむし男」と言う題名で一般に知れ渡っておった。
しかし、「せむし」と言うのが、差別的用語だとして今では、「ノートルダムの鐘」という題名になっておるようじゃ。

この「ノートルダムの鐘」は、ミュージカルで広く知れ渡っており、ミュージカルでは、ハッピーエンドを迎える。
しかしながら元々書かれた「パリのノートルダム」では、登場人物の多くが亡くなってゆく。

出来損ないという意味の名を持つ「カジモド」は、ノートルダム大聖堂助祭長フロロー(ミュージカルでは、最高裁判事)によって、鐘楼に監禁養育される。
醜い顔のカジモドは、心優しく、純粋な青年に成長する。

祭りで知り合ったジプシーの踊り子「エスメラルダ」が、彼女を曲解的に恋慕する聖職者フロローによって、追い詰められた時、カジモドはこれを助ける。
しかし既婚者でもあったエスメラルダが、婚約者のいるフィーバスと恋に落ちる。
この時もカジモドは、二人を助ける。
なかなかエスメラルダを捕まえられず、怒り狂ったフロローは、パリに火を放つ。

その後フロローは、カジモドの後を部下につけさせ、ジプシーの隠れ屋を見つけ出し、エスメラルダを発見。
このエスメラルダが、自分のものにならないことを確認した後、フロローは彼女を火刑に処す。
その後カジモドは、ノートルダムから姿を消したのじゃ。

数年後、処刑場を掘り起こすと、女性の白骨に異様な骨格の白骨が、寄り添うようにして発見される。
この二人の骨を引き離そうとすると、骨が粉々に砕けてしまう・・。

原作「パリのノートルダム」では、フロローの襲撃を受けたフィーバスが、奇跡的に助かり、婚約者と結婚し、エスメラルダの夫は、一緒にいたヤギを連れて逃亡する・・という、何とも言えない結末となるのじゃ。


この原作には、様々な暗示があるようじゃ。当時は「魔女狩り」による「魔女裁判」が横行しておったことや、カトリックの教義に反する人々(不倫など)、ジプシー(エジプトから来た人の意味)と呼ばれる差別的扱いを受ける人々がいたこと。
聖職者の強い権限が、時として、人々を恐怖のどん底へ誘っていたことなど。

ありとあらゆる世の中の、理不尽なる矛盾や、やり切れなさを、ノートルダムだけは、じっと見つめ続ける。
そこに、悲惨極まりない存在である、カジモドの純粋で確固たる精神が、キラリと輝く。
死して尚、エスメラルダに無償の愛を注ぎ続けるカジモドの姿に、神の存在を感じ取る事ができよう。


今回の火災で思うことは、西洋の人々が崇拝する神は、何を人類に伝えようとして、火災をおこされたか・・という事ではなかろうか?
これを深く思念する事で、ノートルダムが存在する意味が、浮上してくるように思う。

期せずしてフロローは、パリに火を放つが、今回は、ノートルダム寺院自らが犠牲となって、何かを訴えておるように思えてならぬのじゃ!