お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

フランシスコ・ザビエルは何故日本に来たの?それからどうでもいいことだけど、彼の頭頂部って禿げてるの?

ザビエルが日本にやって来た頃の欧州世界は、ポルトガル王とスペイン王によって支配されておった。
またこの頃の世界は、教会保護権による境界線によって分割され、この境界線を決めたのが、「教皇アレクサンドル6世」の勅書だった。

ポルトガルとスペイン両王の意向を受け、全世界への宣教(・・とりわけ、インド・アフリカへの期待が大きかったらしいが・・)が期待された。
その上教皇が勅書を出し、新たに発見した土地に対しては、福音を与えなければならない事を、義務づけておったのじゃ。

この16世紀頃の世界地図を、ポルトガル中心に俯瞰すると、西端がブラジルで、東端は日本だった。
1534年に、堕落したカトリックを救済・再建する目的で「イエズス会」が誕生した。 「イエズス」会は、イグナチオ・デ・ロヨラフランシスコ・ザビエル等によって設立されたのだ。

一人の教皇と二人の国王の期待を一身に背負ったイエズス会
彼らはポルトガルの支援を受け、世界の異端者との戦いに備えるべく、軍隊型組織を持ち、布教のため最果ての地へ向かっていった。

こうして1549年、フランシスコ・ザビエルが、鹿児島に到着した。
この年にブラジルでは総督府制が敷かれ、初代教区長には、イエズス会のマヌエル・ダ・ノブレガが務めている。
イエズス会のメンバーは皆、スペイン・ポルトガルの世界戦略・植民地主義の先兵だったといえよう。

イエズス会は、大友宗麟有馬晴信大村純忠等の九州キリシタン大名に大砲や鉄砲等の軍事援助を行なったのだ。
その後、反キリシタン大名の攻撃からの自衛のために、長崎住民の武装化や長崎の軍事要塞化へと発展していく。
遂にはフィリッピンのマニラから、スペイン軍隊の派遣要請をするほど、日本イエズス会の軍事的自立が進んだのだ。
こういう状態であったから、秀吉が「バテレン追放令」を出したのも理解できるのう。


ところで、ザビエルの頭頂部の話だが、これは「トンスラ」と言って、カトリックの神父や修道士が行う髪型で、プロテスタントではこの髪型はしない。
東方教会は、日本の仏教のお坊さんのように、頭部全体を剃っておる。

ザビエルの肖像画でも、頭部に毛髪のあるものが残っているので、禿げていた・・という事はない。

いずれにしても宗教における宣教というのは、日本人が考える以上に、きな臭い側面がある事を肝に銘じておきたいのう。