お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

もうすぐ「天安門事件」の象徴的な6月4日がやって来ます。この事件について詳しく教えて!(2)

1950年代、「右派分子」として知識人を弾圧したのは毛沢東(もうたくとう)。
当時の知識人達の多くは、地方での労働に20年以上従事させられたと言う。
これら知識人の名誉を回復しようと努めたのが、胡耀邦(こようほう)だった。

北京大学などでは「民主サロン」があり、政治的にも比較的自由な文化が見られていた。
ところが1989年4月15日、政治改革に前向きだった胡耀邦が急死した。
胡耀邦が亡くなる2年前には学生運動への対処が緩いとして、(胡耀邦は)総書記を解任されていた。

胡耀邦死去の一報を聞いた学生達を始め、知識人達は誰もが1976年に亡くなった周恩来(しゅうおんらい)首相死去のことを思い出していた。
この時「人民の総理」として周恩来を追悼するため、「天安門広場」に十数万人が詰め掛けた。

これに倣って、4月22日胡耀邦(こようほう)追悼大会を挙行する事で、学生や知識人達に「自由のバトンが受け継がれること」がアピールされたのだった。

改革派の趙紫陽(ちょう・しよう)総書記は、胡耀邦追悼大会のあと、李鵬(りほう)首相に対し、学生を授業に戻すことや様々な段階での対話を試みる事などを指示し、4月23日から4月30日まで北朝鮮を訪問していた。

ところが李鵬は、4月25日最高実力者である鄧小平(とうしょうへい)に対し、

「壁新聞やスローガンのいくつかは反党、反社会主義です。矛先はあなた(鄧小平氏)に向いているのです。」

と報告した。
これは李鵬が保守派であったから致し方ない報告であったかもしれぬ。

これに対して鄧小平は、

「これは計画的陰謀で、狙いは党と社会主義体制を根底から否定する事だ」として、
「旗幟(きし=表立って表明する態度・主張)鮮明にこの動乱に反対しなければならない。」

と主張した。

これが所謂『天安門文書』と呼ばれる内部文書を基に刊行された文書であった。
これがそのまま4月26日付『人民日報社説』に掲載されたという。

そして1989年6月4日、兵士が市民に対して銃口を向けた。
犠牲者は中国当局は319人としているが、2017年に機密解除された英公文書によれば、英研究機関は当時死者1千から3千人と推計している。
そしてこれを英国外務省に報告しておる事が明らかになったという。

天安門広場」では催涙ガスがたちこめ、通りを戦車が暴走し、次々と学生達を押し潰して行った。
この「天安門事件」から今年でちょうど30年の節目を迎える。

あれから30年の歳月が流れたが、「天安門事件」前と比べて現在の中国国内の人権状況は、さらに悪化していると判断する人は多い。
現在は完全な監視社会になり、宗教や少数民族への弾圧も激しさを増している。

しかしそんな中でも、民主化運動に身を投じた当時の若者達が世界中に亡命し拡散し、今尚「民主化運動」を推し進めるべく活動を継続しておるらしい。
彼らの多くは共産党政権は、やがて崩壊すると考えているようじゃ。

それは何故か?といえば、国内の不満を外に向けさせる為に、対外拡張せねばならず、これには莫大なコストがかかる。
その為に対外拡張が、諸刃の剣(もろはのつるぎ=一方では役に立つが、他方では害を与える危険を伴うものの例え)となり、財政破綻の端緒(たんしょ=事の始まり)となって崩壊する事が多いと言う。

とりわけ習近平(しゅう・きんぺい)が力を入れている「一帯一路」は、まさに対外拡張の権化(ごんげ=ある抽象的特質を具体化又は類型化したもの・化身)のようなビッグプロジェクト。

これを支える屋台骨(やたいぼね)となる考え方の根っこに、多くの人民の幸福と世界平和をはじめとする世界への貢献が横たわっていなければ、「一帯一路」は実現しまい。

それにしても日本政府は先進国の中でも民主化問題に関して殆ど無関心を装っている。
これは何故か?恐らくそれは、日本人全体が、民主化問題に興味が無いからであろう。
チベットウイグルの人権問題も大きな問題だが、日本は何も言わない。
明日は我が身に降りかかるやもしれぬ大問題であっても、抗議の声すらあげない。

日本人全体が世界全体を俯瞰しつつも、物事の本質を捕まえようとしなければ…、何も始まらぬのかもしれぬのう。