香港で大規模なデモが行われていますが、これって何のデモなの?(2)
香港では、100万人を超える市民による大規模デモが、「逃亡犯条例」改正を巡って、頻発しておる。
これに対し催涙弾やゴム弾を撃ち込む所業は、人権上も数多の問題を有しておる。
日本人にとっても今回のデモは、他人事ではないのだ。
香港が中国の手中に堕ちたら、次は一つの中国を掲げて、台湾を狙い撃ちする。
それが終われば、今度はいよいよ日本の沖縄をロックオンする。その根拠は沖縄の歴史にある。
沖縄は1429年から1879年までのおよそ450年間、琉球諸島を中心に存在した王国(琉球國=ルーチュークク)であった。
日本の鎖国政策や大国・明・清の海禁の間に存在し、中継貿易で大きな役割を果たしていた。
琉球國は明及び清の冊封(さくほう=皇帝の命令書を以って封爵を授ける事)下におかれていたが、1609年日本の薩摩藩の侵攻以降、薩摩藩と清への両属体制を取りつつ、独立王国として存在していたのだ。
と言うことは、いつ如何なる時に、中国に呑み込まれても不思議ではない土壌が、地政学的・精神的の両面にあると言えよう。
1871年明治政府は、琉球國の領土を鹿児島県の管轄(かんかつ)下におき、1872年には、琉球藩を設置した。
その時、前肥前(ひぜん)鹿島藩主、鍋島直彬(なべしまなおあきら)が赴任し、王統支配が終わりを告げたのだ。
琉球王族は、日本の華族とされたものの、琉球士族の一部はこれに反抗し、清国に救援を求めるなど問題は尾を引いていた。
後に日清戦争の日本側の完勝をもって、琉球全域に対する日本の領有権が確立した…という歴史的背景を有しておる。
沖縄は日本に違いない…と嘯(うそぶ)いておる場合ではない。
中国は常に隙(すき)を窺(いうかが)っておる。
民主主義が赤色チャイナに駆逐されるかも知れないカタストロフィ(大惨事・大詰め・破局)を、如何にしてより良い大団円(だいだんえん=最後の場面)に仕立て上げるかが今問われているのじゃ。
7月1日には200万人ものデモが、香港で予定されておるらしい。
自由と民主主義は、「ぼっー」としていては守れない事を、肝に銘じるべきではなかろうか?