お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

吉田松陰に学ぶ命の尊さって何なの?

前にも述べた吉田松陰の『留魂録』には、人間の一生を「穀物の四季」に例えて記してある。
それをわかりやすく言えば、次のようになる。


幾つで亡くなったとしても、冬を乗り越え春が訪れれば、自分が蒔いた種から、また芽が出て穂を出し、実となって収穫し喜ばれる。
収穫して悲しむ者はいない。
たとえ我が身が滅しても、心ある志士が、「大和魂」を受け継ぐなら、自分が蒔いた種から絶えず実がなり収穫を迎える。
斯の如く繰り返され、私の魂は永遠のものとなって生き続けるのだ。よって、死を覚悟しても平穏な心持ちでいられる…と。


常住、死を覚悟しつつ生きた人の重い言葉が『留魂録』に綴られておる。
この「穀物の四季」の話を心の片隅に置きつつ日々を生きてゆきたいものじゃ!

また、盆のこの季節だからこそ、「生」と「死」の間の日々を語る、吉田松陰の次のエピソードを述べたいと思う。


松陰は淡々と「死の準備」を始めている。
安政6(1859)年10月20日、親族への永訣の書を認(したた)めた同じ日に、江戸にいた飯田正伯と尾寺新之丞にあてて、自分の遺体の処理を頼む書簡を書いておる。
死後の自分の遺体の処理など、切腹後の事について事細かに指図していることに驚愕する。
それをまとめると次のようになる。


自分(松陰)の首の処理については、沼崎吉五郎と堀江克之助に頼んだが、その実費が3両かかるそうだから、その代金を支払ってやってくれ…。
また周布政之助十両借りて、(松陰の)首の始末の代金の他に、沼崎に3両、堀達之助に1両、堀江にも1両くらい、『生前の恩はわすれません』という、自分(松陰)の思いを込めて、贈ってやって欲しい…。


こんな内容の手紙を上記の二人に書いているのだ。

強い意志の力で「最期を迎えた」ことがわかるエピソードだと言えよう。