呉善花さんの著書『日本的精神の可能性』について教えて!(5)
韓国人は許さないことが信頼の証…なぜ日本人は恨みを水に流せるのか
日本人と韓国人との根本的違いについて、わかりやすく著した呉善花氏の一文を次に挙げたいと思う。
戦前の日本の軍国主義的な大陸進出について、(中略)韓国・北朝鮮はほとんど永久に責任を問い続けようとする。(中略)相手が納得するまで永遠にその責任を果たし続けていかなくてはならない、と言う日本人も多い。ところが、自ら被害を受けた一般市民の無差別殺戮(むさべつさつりく)である広島・長崎への原爆投下や東京大空襲などについては、アメリカへの恨みはいっさい水に流すという気持ちが日本人の間にはほとんど確立している。
(同書239から240ページ)
ここに引用した一文は、外国との付き合い方を改めて考えさせられる一文である。
日本人というのは他者から被った被害は、その被害を受けた原因がなくなったら、恨みを残さず「水に流す」。
その一方で、自分が他者に被害を与えた場合は、相手がそのことを納得するまで許されないと考えようとする民族なのだ。
ところが韓国人は違うと呉善花氏は言う。
私も長い間、水に流すという考え方が分からなかった。恨んで然るべき相手を極力恨もうとしない努力をするのはなぜなのかと思った。韓国人では、身内に加えられた被害について恨み続け、けっして許さないことが身内に対する信頼の証であり、また孝の徳の高さを意味している。水に流すというのは、「子どもを流す」というように、自然に帰すことを言っている。全ての罪や穢れは、その本体の死によって水に流れて清らかなものとして再生するのである。こうした価値観を考えずには、日本人の先の戦争に対する態度も、アメリカの仕掛けた無差別大量殺戮に対する態度も、けっして理解することができない。
(同書241ページ)
革命によって全てが一新してしまうと考える、易姓革命(えきせいかくめい)思想を有する中国の漢民族。
四六時中(しろくじちゅう=常に)「恨の思想」を身にまといつつ生きている韓民族。
何でも彼(か)でも「水に流す」日本人。
先の戦争問題については、各国を構成する民族の特質の研究無くしては、根本的解決はしないであろう。
真の意味で日本人が世界で活躍するためには、「井の中の蛙大海を知らず…!」の言葉を跳ね返すほど強力な「内省力」と「眼力」を磨き、自国の文化・文明に誇りを持つ教育を身につけ、真摯に生きる努力をしなければなるまい。