お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

『青葉茂れる桜井の…桜井の訣別』の歌って、誰が作詞・作曲した、どんな歌なの?

『桜井の訣別』の作詞者は、落合直文(おちあいなおぶみ)で、作曲家は奥山朝恭(おくやまともやす)とされる。
この歌は、楠木正成(くすのきまさしげ)と、その嫡男(ちゃくなん)楠木正行(くすのきまさつら)が訣別する逸話(いつわ=エピソードのこと)に基づく歌である。
『青葉茂れる桜井の』あるいは、『大楠公(だいなんこう)の歌』とも言う。

楠木父子が桜井駅で別れた後、正成(まさしげ)は、「湊川の戦い」に赴き、覚悟の戦死を遂行(すいこう)した。
湊川での正成の死に際は、誠に潔かった。

兄正成(まさしげ)より「最後の一念」を尋ねられた、舎弟(しゃてい)楠木正季(まさなお)は、
「七生(しちしょう)マデ只同ジ人間ニ生レテ、朝敵ヲ滅サバヤトコソ存候ヘ」
と答えたとか…!

そこで兄弟は、七生報国(しちしょうほうこく)を誓い、互いに刺し違えて果てたのである。
よって「桜井での別れ」が、正成・正行父子にとって、今生(こんじょう)の別れとなったのだ。

これより12年後、楠木正行(まさつら)と、その舎弟正時(まさとき)が、正に「四條畷の戦い」に臨まんとする折のこと。吉野の行宮(あんぐう)に在(ま)します、後村上天皇への謁見(えっけん)を終え、正行(まさつら)・正時(まさとき)並びに一族郎党(いちぞくろうとう)は、「如意輪寺」の如意輪堂(にょいりんどう)に行き、扉を過去帳に見立て名前を記した。

その時正行(まさつら)は、
「帰らじと 兼て思へば梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる」
(今度の戦いは生きて再び帰れぬ身であるが故に、亡き人の仲間入りをする名前を残して出発します)と、一首認(したた)めたのだ。

この後、四條畷に赴いた正行(まさつら)は、舎弟正時(まさとき)と共に、父と叔父の如くに互いに刺し違えて散ったのであった。

落合直文は、歌人で国文学者である。陸前伊達藩重臣、鮎貝家(あゆかいけ)に生まれ、国学者落合直亮(おちあいなおあき)の養子となる。
幼名は「亀次郎」で、後に鮎貝盛光と名乗ったらしい。
また、直文氏の長兄は、初代気仙沼町長、鮎貝盛徳氏で、実弟朝鮮語学者である鮎貝房之進氏である。

革新的短歌を目指して、「浅香社」(あさかしゃ)を結成し、訳詩集『於母影(おもかげ)』を発表した。
また歌集『東西南北』を編んだ、与謝野鉄幹(よさのてっかん=与謝野寛とも呼ばれる)や尾上柴舟(おのえさいしゅう)らの多くの逸材が「浅香社」から誕生したのだ。

『桜井の訣別』は、落合直文を師と仰ぐ斎藤延正という歌人が作詞し、それを落合直文が手直しをした…とされている。

作曲は、岡山県出身の奥山朝恭(おくやまともやす)である。

朝恭(ともやす)氏は、東京牛込の旗本の家に生まれ、維新後の明治7(1874)年、海軍鼓笛隊へ入隊し、その後文部省音楽取調掛に勤め、音楽教諭の試験に合格し、兵庫県岡山県の県立師範学校で教鞭を執ったという。

『桜井の訣別』の曲は、読売新聞に載っていた落合直文の詩にいたく感激した奥山氏が、詩が新聞に載ったその日のうちに作曲したとか…!

それほどまでに美しく感動的な詩は次の如くである。


1)青葉茂れる桜井の
  里のわたりの夕まぐれ
  木の下陰に駒とめて
  世の行く末をつくづくと
  忍ぶ鎧の袖の上(え)に
  散るは涙かはた露か

2)正成涙を打ち払い
  我が子正行呼び寄せて
  父は兵庫に赴かん
  彼方の浦にて討死せん
  いましはここ迄来(きつ)れども
  とくとく帰れ故郷へ

3)父上いかにのたもうも
  見捨てまつりてわれ一人
  いかで帰らん帰られん
  此(この)正行は年こそは
  未だ若ければ諸共(もろとも)に
  御共(おんとも)仕えん死出の旅

4)いましをここより帰さんは
 わが私(わたくし)の為ならず
 己れ討死為さんには
 世は尊氏の儘(まま)ならん
 早く生い立ち大君(おおきみ)に
 仕えまつれよ国の為

5)此一刀(ひとふり)は往(いに)し年
 君の賜(たま)いし物なるぞ
 此の世の別れの形見にと
 いましにこれを贈りてん
 行けよ正行故郷へ
 老いたる母の待ちまさん

6)共に見送り見返りて
 別れを惜む折からに
 復も降り来る五月雨の
 空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)
 誰か哀(あわれ)と聞かざらん
 あわれ血に泣く其(その)声を


この詩の根底に脈々と流れる自国への思いや、お上に対する無垢なる思い。
命を賭して、戦うべき時に備え、日々怠りなく生きる…という愚直なる誠心!

主上への、家族への、「至上の愛」に満ち満ちたこの歌は、哀感の海に揺蕩(たゆた)いながら、日本人の二心(ふたごころ)なき、赤心(せきしん)を謳いあげている。
常にこの歌を心の片隅にとどめ置くこと。

これが今の日本人にとって、必要なことではなかろうか?

常にこの歌を心の片隅にとどめ置くこと。
これが今の日本人にとって、必要なことではなかろうか?