お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

1955年から1988年までの外務省外交文書公開について教えて!

外交文書公開によって、一際(ひときわ)目をひくのが、1988年の竹下登首相の訪中を巡っての経緯(いきさつ)である。
外務省は首相の訪中をより良い形で実現する為に考えた策が、「靖国神社」(やすくにじんじゃ)不参拝であったらしい。
外務省が首相に不参拝を求めた事を示す資料もあったようだ。
この頃、「チャイナスクール」と呼ばれる外務省の官僚による、中国当局に阿(おもね)るような忖度(そんたく)が、日常的に行われていた事が伺われる。

抑(そもそ)もチャイナ・スクールとは一体何のことなのか?と言えば、これは外務省にある、研修語ごとの語学学閥(スクール)の一つだということ。
中国語の学閥は、チャイナ・スクール、米英語は、アメリカ・スクール、ドイツ語はジャーマン・スクール、ロシア語はロシア・スクールという具合である。

2002年の5月19日から21日まで産経新聞に連載された「解剖チャイナ・スクール」によって、「チャイナ・スクール」という言葉が独り歩きを始めたようだ。
典型的「チャイナ・スクール」出身者は、文化大革命時代に、中華人民共和国で中国語の研修を受けた外交官だという。
日中友好」を最優先させる日本のチャイナ・スクール出身の外交官を、「日中国交正常化を成し遂げた交渉の苦労を語り継いできた者」として、チャイナ・スクール外交官批判を展開している。

チャイナ・スクール外交官は、日本の安全保障問題をはじめ、日中間の歴史認識問題に関して、親中的発言をする傾向があると言われる。
彼らは、日本の国益という観点から中国との関係を築こうとするのではなく、あくまで中国側の立場に立って、発言し、行動する。
また中国が抱えるチベット東トルキスタン新疆ウイグル自治区)地域に対する人権抑圧の問題に対しては、中国側の立場に立つ。
また何らかの問題提起をしようとする動きには、敏感に反応し、これに圧力を加えているのだ。

何れにせよチャイナ・スクール出身者による、異常なまでの中国への忖度は、放置すべきことではない。

かつて奈良時代遣唐使の一人であった吉備真備は17年もの長きに亘り、唐で過ごした。
最近真備の手になる墓誌が中国で発見された。
734年に亡くなった役人の墓石の文末に刻まれていたのは、「日本国朝臣備書」であったという。

日本の国名が成立したのは、七世紀後半とされる。

国際社会では一般的でなかった頃の「日本国」という国名を刻む真備の心中(しんちゅう)は、如何程であったろう。
そこに真備の鬼気迫る魄力(はくりょく=意志の力・精神の力)を感じずにはいられない。

日本の外交官もこの真備の気概に奮起し、日本国の為に「身命を賭し」て、仕事に専心してもらいたいものである。