お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

serendipityセレンディピティって何なの?

セレンディピティとは、思いがけない偶然によって、全く別の新しい発見が導かれることを言う。
先ずはこの「セレンディピティ」という言葉の由来について述べてみたい。

セレンディピティ」という言葉は、英国の政治家であり小説家でもあった、ホレス・ウオルポールが1754年に生み出した造語のこと。
幼少期のウオルポールの愛読書は、『The Three Princes of Serendip』則ち『セレンデイップの3人の王子』だった。
当時のセレンデイップとはセイロン島、現在のスリランカのこと。

この童話に登場する3王子は、よくものを失くしたらしい。
そこで一生懸命探しものをするが、自分が探しているものが見つからず、その代わりに全く予期せぬ素晴らしいものを見つけだす…という物語。
この童話は18世紀の英国で頗る人気があったという。

セレンディピティ」と言うのは、「セイロン性」といったほどの意味になる。
この童話が一般に流布して以降、本来目的としていなかった、副次的に得る研究成果などを「セレンディピティ」と呼ぶようにになったのだ。

セレンディピティ」は、日常のちょっとした場面でも度々体験する。

机の引き出しにしまいこんでいたルーペを探索中、思いがけない形で、長年探していた祖父の形見のペンが見つかる…などという事は日常茶飯事のこと。

実はこれも「セレンディピティ」の一種なのだ。
日頃から祖父の形見を見つけ出したい…と強く願い、夢に見るのではないか?と思われるほど願っていたら…存外身近な所に祖父愛用のペンがあった…。
これを見つけるためにルーペをなくしたのではないか?と思えるほどに…。
斯くの如く「セレンディピティ」に遭遇するには、少しだけ条件が伴っていなければならぬ。

フランスのルイ・パスツール1854年にリール大学の学長に就任した時行った演説の中でこう語っている。
「観察の領域において偶然は構えのある心にしか恵まれない」と。

これはどういう事か?と言えば、日頃から「斯くありたい」と24時間強く願っている日常があってこその…招かれるべくして招かれた「偶然」の産物…!
これが「必然」へと変身を遂げるほどの熱望が、各人の無意識層に横たわっていなければならないという事。

より良い自分の未来を引き寄せるためにも、「セレンディピティ」を引き起こす努力をしてみては如何かな?