2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧
自分が考えたことが思い通りに進まんことは多いものじゃ。 そんな時には、頭を冷やして原点に戻るべし。 何のために事を進めようとしているのか?何に向かっているのか? 自分のやるべき事を今一度点検してみる。 そうしたら全く違った視点で、自分の原点を…
日々忙しく生活しているからといって、必ずしも真摯に生きているとは限らんのう。 一見精勤(せいきん:職務など、よく努めること)に見えても、実はさぼって生きている場合も多いものじゃ。 決められたことを、決められた通り、ルーティンワークのようにこな…
ユダヤ賢者の口伝伝承を総括した、膨大な書物が、「タルムード」である。 ユダヤの民が民族的に強固なのは、ユダヤ教徒特有の宗教観や信仰意識を、現実生活の中に取り入れ、実践し続けておるからじゃ。 自己存在を確固たるものにするには、このタルムードの…
流行(はやり)の言葉で言えば、アイデンティティ(identity)の確立と言うべきかのう? 日本人にとっての自己存在=アイデンティティのとらえ方は難しいものじゃ。 そもそもアイデンティティを喪失している人が多いのでなぁ。 民族的に統一され、アイデンテ…
前回、人間が背負って生まれる「時代精神」と「民族精神」について、少しだけ触れたのを覚えておるか? ここで言う「時代精神」とは、各時代の社会や人心を覆う空気感や、その時代を特徴づける精神のことを指しておる。 一方、「民族精神」とは、各々の民族…
この世に「オギャー!!」と誕生して以来、無限の夢と可能性が、その赤子にもたらされるわけじゃが。 それと同時に、絶望の淵への誘いと、絶望に伴う恐怖と凄みもやってくる。 絶望は、その赤子が幼児になり、少年となって、青年・壮年・熟年・老年、やがて死…
絶望とは、これまた大そうな問題じゃな。 しかし人間は日々絶望して生きておるともいえよう。 則ち絶望にも「瞬間の絶望」と「永遠の絶望」があるということじゃ。 「瞬間の絶望」の多くは、自分に与えられた条件のもとで、その条件に従いつつ、自分の力を発…
ならば愚痴はどうすればなくなるのか?人間ならば、どうしても少しの愚痴は残ってしまう。 けれど愚痴を減らすことはできるんじゃ。 愚痴とは頑迷(がんめい=かたくなで正しい判断ができないこと)な己から誕生した辛艱(しんかん=つらい悩み)の愚息(ぐ…
今日は、「百匹目の猿」について少しばかり話してみようぞ。 宮崎県串間市の「幸島(こうじま)」と呼ばれる島で、1948年から京大の研究グループがニホンザルの観測を開始したんじゃ。 ある時一歳半の猿が砂のついたサツマイモを水で洗う行動を取った。 こ…
パソコンが一般的になった20年ほど前より、誰もがスマホやタブレットを保有する時代になって、世の中が一変してしもうたな。 インターネットバンキング・ストリートビュー・ユーチューブ・ライン等々…を用いて様々な事が安直に実現する。 何とも奇妙な不安に…
運命とは、命(いのち)を運んでくれる天の命(めい)のことじゃ。天の命(めい)は天から与えられたもの。 人間の意志にかかわりなく、一人一人の身の上に巡る吉凶禍福をいうわけじゃ。 ただ、心がけ次第で、運命は変わる。 「禍福門なし、ただ人の招く所」という…
「自分が弱い」とわかること自体すごい発見なんじゃ。 自分が弱いちっぽけな人間だと理解できる力が、人間を真っ当な存在にする。 弱い人間を克己しようと志すだけでも、見ていた世界が一変する。 何よりも自己嫌悪に陥らなくなるんじゃ。 大したこともない…
日々楽しく生き生きと生きたい…とは、誰もが願っていることじゃ。 ところが実際は毎日鬱々と生きる。あるいは生き生きと生きていないのに、さも生き生きと生きているが如く思ったりして、自分の人生そのものをごまかす手合いも多いものじゃ。 どうして鬱々と…
前回「強制」について申した。 外部の原因によって自分自身が支配されている有り様を「強制」だと言ったことを覚えておるか?。 自分自身がすべての根本原因になることを知ることが、自分自身を自由にする一番の近道だと言える。 自分が、己自身の行為や考え…
人は強制されることを嫌うものじゃ。 個々人に与えられた条件は、その人間の本質と密接に結びつく。 強制とは、一人一人の人間を、その人たらしめる独自の性質や生まれつき備わる天稟(てんぴん)の誉れが踏みにじられる有様を指しているのじゃ。 将又(はたま…
人がやりたいことをやる…というのは、つまる所二つのことしかないな。 一つは、宇宙の法則に従ったことをやること。 もう一つは、貪・瞋・痴(とん・じん・ち)、この三種の根本的欲望を拠り所とすることをやることじゃ。 人がやりたいことの多くは、先に述…
自分が自分であり続けることは、難しい。 実際の所、本来的自己というものが如何なる姿で、何と考え、生きているのか…ということも、明確にわかっているとは言い難いのだ。 而して、本来的自己というものがあるとすれば、それは行く雲のように自由に心の赴く…
一人一人がこの世に生を享ける。赤子から幼児・少年・青年・中年・熟年・老年を迎える年月(としつき)を辿れば、一本の映画を観るように、一人一人に豊かに拡がる人生模様が映し出される。 悲しいこと、辛いこと、楽しいこと、嬉しいこと感動すること、様々…
今回語ろうとする勝れた人とは、著名な人や傑出した人のことを指しているのではないぞ。 勝れる…というのは、他よりまさる…とか、ぬきんでることを示しているから、当然何かに傑出した人物を指しているに違いない。 しかし、ありとあらゆる分野において卓越…
自分をよく知る事。自分が実在する世界の中で、自分の核と向き合うことだ。 自分の核は自分に嘘をつかず、等身大の自分と出会うこと。 自分の境遇や能力を冷静にみつめ、良い事も悪い事も阻害せずに客観視すること。 こうして自分の核を掴もうと努力すること…
「楽しい」とは、心が広く、大きくなること。 「楽しい」とは、人を豊かにすること。 「楽しい」とは、背のびしすぎず、無理強いのない余裕のある時間のつながりを満喫することだ。 突き詰めれば、「楽しい」とは、自分自身が生きることを快く感じ、それを実…
話のわかる人、わからない人、相手の気持ちを理解しようとする人、しない人。 他人と打ち解けやすい人、打ち解けにくい人。 相反する評価が下されれる二人の人物がいるとする。 話のわからない人よりわかってくれる人の方が良いだろうし、相手の気持ちを理解…
自分を大切に育てたいなら本気で生きるべし。死ぬ気で生きるべし。 ならば、本気とは何か?これが一筋縄ではいかぬぞ。 本気になるとは、真剣になることだ。 「真剣」と同じ音を出すものに、信験・神剣・神権・神験・神譴・進献・新券・親見・親眷・親験・親…
少し心を休ませるべし。 自分の心が病んでいて、他人の心ない一言やふるまい、言動が、死ぬまで許せなくなる。 あるいはいつまでも気になって仕方がない。 こんな時、自分が責めたくなる相手の心肝に、取り込まれてしまっておる。 まず何よりもそんな混濁の…
自分の人生を花も実もあるものにしたい…とは、誰もが考える。 今一度考えてみよう。 誰が花や実をつけるのか? 自分で花を愛で、自分が実を喰べていると、そのうちにだんだん面白くなくなってくる。 やはり自分以外の人が花を愛で、その実を口に含んでくれる…
人間の器の大きさを測る基準は、ずばり自分の人生を俯瞰して見る力量があるか…ということじゃな。 一般に俯瞰図と呼ばれるものは、別名鳥瞰図とも呼び、上から見おろしたように描いた地図や絵図を言う。 そのように、自分の人生全体を上空から眺める。これが…
やりたいことをやり、食べたいものを食べ、笑えるだけ笑う…。これができたら、人間文句はないはず。 ところが、すべて思い通りに事が進んでいたはずなのに、あたかも落人のような心情になる。 自分は本当にやりたいことができているのか?いや何もできていな…
勇気は自分を愛することから始めようか。 自分を思いっきり信じること。 かといって、自分を過信したり、横暴な振舞いをすることではないぞ。 真に自分を愛するよう努めれば、自分を必要以上に過信せんぞ。 ましてや他人に対して横暴になれるはずもない。 真…
やりたいことをやり、やりにくいことをやらない。良い事だ。 やりたいようにやり、やりたくないものは徹底してやらない。増々良い事だ。 好きな人は好き。嫌な奴は嫌。これも良き事。 なれど待て待て待て、少し待て! やりたくなくとも、他人にとって良き事…
自分を省みるというのは、大変清々しく、潔い心根と言うことができるな。 「芝蘭の化(しらんのか)」という言葉がある。 これは、 「善人と居るは芝蘭の室に入るが如し。久しくして其の聞かざるは即ち之を化すればなり。」(孔子家語 六本) という言葉から来…