お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

絶望とは何か?② 「永遠の絶望」とは?

この世に「オギャー!!」と誕生して以来、無限の夢と可能性が、その赤子にもたらされるわけじゃが。
それと同時に、絶望の淵への誘いと、絶望に伴う恐怖と凄みもやってくる。

絶望は、その赤子が幼児になり、少年となって、青年・壮年・熟年・老年、やがて死を迎えるまで、その「人間の一生」を通じて、自己存在を絶対肯定するか否かを、問い続けるためにやってくるのじゃ。
いわば無限の夢と可能性の裏付けとして、絶望が存在しておる。
しかも、この絶望の要素には、すべての人間が背負っておる共通の時代精神民族精神の塊が横たわっていると言えよう。

人間は、生まれながらにして絶望を、同じ母から生まれた同胞(はらから)として認めざるをえないのであろうな。
無論、無限の夢と可能性も同母より生誕した同胞である。言わば、絶望を友とし、生きる糧として、自己存在を認識し続けること。
このことが、一人の人間を大きく、気高く、成長させるのじゃ。

人生は修行じゃのう。