自分が“弱い人間だ”とわかったらどうする?
「自分が弱い」とわかること自体すごい発見なんじゃ。
自分が弱いちっぽけな人間だと理解できる力が、人間を真っ当な存在にする。
弱い人間を克己しようと志すだけでも、見ていた世界が一変する。
何よりも自己嫌悪に陥らなくなるんじゃ。
大したこともないのに、自分で自分が嫌になることほど、神仏に対して失礼なことはない。
人間一人をこの世に産み出すために、どれほどの奇跡が重なっているか、今一度考えてみるがいい。
両手いっぱいの奇跡の連鎖の上に在る自分自身は、大切な大切な存在なんじゃ。
ところがこの人間という存在は、弱い所だらけで不完全なものでな。この世で修業を積むうちに、徐々に徐々に強い人間に成長してゆく。
ちっぽけで弱く生まれた一人の人間が、強く大きく成長する姿は、何にもまして美しい。
弱い人間が覚悟を決め、人間として成長することだけを「生きる縁(よすが)」とすれば、幸せは舞い込んでくるもんじゃ
「果報は寝て待て」ということわざがある。
あせらず静かに、豊かな人間となるよう、こつこつと努力すれば、思わぬ所から果報がやってくるんじゃよ。