お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

清々しく生きるとは?

日々楽しく生き生きと生きたい…とは、誰もが願っていることじゃ。
ところが実際は毎日鬱々と生きる。あるいは生き生きと生きていないのに、さも生き生きと生きているが如く思ったりして、自分の人生そのものをごまかす手合いも多いものじゃ。

どうして鬱々としたり、人生をごまかすのか…と言えば、自分の人生が自分だけのものだと勘違いしておるからじゃ。
 

自分の人生は誰のものかといえば、自分という人間をこの世に生み出した宇宙摂理のものなのじゃ。
宇宙摂理とは、全宇宙を統(す)べる実在の根源である。

人間は常に生死の海に足をぬらして生きておる。
その命脈(いのち)の手綱を握っておるのは、摂理そのものなのじゃ。

人はいつ如何なる時に生まれ、いつ如何なる時に死ぬるかは、宇宙摂理のみぞ知る。
よって宇宙摂理が望むように生きる事が肝要じゃ。
ならば宇宙摂理が望むことは何か…といえば、実相を生きる人間が増えることを望んでおるといえるであろう。

人間の人生の本性は幻であり、影の如きものである。
この幻を、この影を「智慧の大海」にさらす時、心空晴れやかに清々しく生きることができるのじゃ。

智慧の大海とは、過去を一切振り返らず、今を精一杯表裏(おもてうら)なく生きること。
自分が考える精一杯の、より良き人間として今を生きることをいう。


そしてこの生き方が清々しい生き方だと言うことができるのだ。