お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

絶望とは何か?③ 「永遠の絶望」とは?②

前回、人間が背負って生まれる「時代精神」と「民族精神」について、少しだけ触れたのを覚えておるか?

ここで言う「時代精神」とは、各時代の社会や人心を覆う空気感や、その時代を特徴づける精神のことを指しておる。
一方、「民族精神」とは、各々の民族を成立・構成する個々人。
その集合体としての共通無意識層の振る舞い方のことを言うんじゃ。

人間は生まれながらにして、時代や生誕した国の本質をその身に宿して誕生する。
生まれた国の実情に直面しながら、その一生を死ぬまで生ききることしか道がないんじゃ。

「永遠の絶望」とは、その時代やその民族と共に在る人間が、たとえ絶望の只中にあっても、自己放棄せず生き抜くこと。
又再び立ち上がって、「時代精神」や「民族精神」に立ち向かってゆく。
この姿勢を絶望という抽象的概念によって活性化させる。
人間自身の内奥を変容させ、人間の霊性を向上させるのじゃ。

何と「永遠の絶望」こそが、人間をつき動かす悪魔的エネルギー源として、人間の可能性を無限に引き出してゆくのじゃよ。