お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

年号の必要性を教えて!

政教一致を目指すイスラム教徒はイスラム暦を採用し、中世以降の欧州の国々はローマ帝政以前からユリウス暦を使ってきた。
これがいわゆる西暦のこと。

中国では暦を作製することは、天子の権威の一部でもあった。
よって中国の暦の基礎たる天子の年号を用いる地域は、広い意味における中国圏と見做されておった。
朝鮮半島では、その歴史の殆どの時期、中国の暦を使っていたのだ。

一方日本では、中国の年号を用いなかった。
7世紀後半に皇位にお就きになった天智天皇は、皇太子でいらっしゃった頃、水時計を作ったとも言われておる。
これが事実かどうか未確認ではあるものの、この頃より日本の皇室は時代の根幹を自らが支配する存在だったと言えよう。(実際の暦は、支那のものを使用)

天武天皇の時代までは年号にこだわることは、殆ど無かった(孝徳天皇の大化・白雉〈はくち〉を別にする)。
ところが天武天皇在位最終年に、「朱鳥(しゅちょう)」という年号が作られた。

この年号は天武天皇が身罷(みまか)られても、廃止されず、新しく作られる事もなかった。
文武天皇の御代に、大宝(西暦701年)という年号が定められる。
それ以降、慶雲(けいうん)・和銅霊亀(れいき)・養老・神亀(じんき)・天平…と、絶える事なく、令和まで年号が定められておる。

「暦」という、言わば全人類が逃れられない時間の呪縛を、国を統べる天皇に委ねる事で、日本の国が潜在的に自立したといえるであろう。

7世紀から8世紀にかけて、日本は中国の属領になるか、自立するかの瀬戸際に立たされていたといえる。
そんな中で、日本に流れる「時刻(とき)」を、日本自らの手に納めたことは、画期的であり日本一国で一文明を築く基礎となったといえる。

米国の国際政治学者サミュエル・ハンチントンは、『文明の衝突と世界秩序の再創造』の中で、日本文明を「一国で成立する、主観的な自己認識をもつ孤立文明」としている。

国力の三大要素は、軍事力・経済力・文化力だというが、日本には日本独自の「時刻(とき)」を司る「年号」がある。
この年号という手立てを通じ、連綿と続く日本の文化文明の佇(たたず)まいを世界に見せる事ができる。

それは如何なる国の支配を受けない…という、毅然とした「國ぶり」を諸外国に知らしめる手立てともなり得るのじゃ。