本来的自己は、いつ如何なる所に姿を現すのか
自分が自分であり続けることは、難しい。
実際の所、本来的自己というものが如何なる姿で、何と考え、生きているのか…ということも、明確にわかっているとは言い難いのだ。
而して、本来的自己というものがあるとすれば、それは行く雲のように自由に心の赴く所を探し求め、水が流れるように、あるがままの自分の心の変化を受けとめる。
その上で、風によって刻々と姿を変える風紋のように、自己の精神の力によって、自己組織化し、且つ自己再編させることで変貌を遂げ続ける姿をいうのだ。
本来的自己は、マグロやカツオのように、自己内省を止めると死滅するもの。
常にセルフ・オーガナイズし続ける在り様=「生き方」の上に、本来的自己が存在するのだな。