お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

勝れた人とは?

今回語ろうとする勝れた人とは、著名な人や傑出した人のことを指しているのではないぞ。

勝れる…というのは、他よりまさる…とか、ぬきんでることを示しているから、当然何かに傑出した人物を指しているに違いない。

しかし、ありとあらゆる分野において卓越した技能を有することと、人間性あるいは霊性が、抜きん出ていることとは、必ずしも合致せぬ。

高い人間性が備わらない人物は、勝れた人とは言えぬ。
何となれば、今生に人間として生まれた以上、まず一義的な問題として人間性が問われるからな。

人間が高度な人間性を目指さなくて、「自分は人間だ」などとおこがましくて言えんゾ。

ところがこの人間性をはかる基準が低レベル極まりない。

一般的には社会ルールや社会的規範を遵守すること。 その上で感情を緩和し、他者を心身共に緩やかに弛緩させることが、人間性が充実していると見做しているふしがあるな。

勝れた人物というのは、他者の心を穏やかにすることはあっても、弛緩させることはない。

人間は「心を弛緩させる」と、横着になり、生きる勇気や人間としての善根を欠落させる。
善根とは、諸善を創出する根本である。無貪・無瞋・無痴の事だ。
人知れずこの善根を積みつつ生きることの何と難しいことか!

「勝れた人」とは、日夜善根を積んで生きることを心得て、それを楽しむ術を知っている人のことを指すのだゾ。