お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

世の中を良くするにはどうしたらいいの?

パソコンが一般的になった20年ほど前より、誰もがスマホタブレット保有する時代になって、世の中が一変してしもうたな。
インターネットバンキング・ストリートビュー・ユーチューブ・ライン等々…を用いて様々な事が安直に実現する。

何とも奇妙な不安にかられる昨今じゃ。
ユーチューバーのネットチャレンジとか言うて、バカな動画をネット上にアップし、拡散する。それを見た者が真似をしたり、もっと過激なことをやって、ネット上で注目される。

この繰り返しが悪しき連鎖を促進させる。無論良い動画もあるにはあるが、究極の所、人類のレベルがもっと上がらん限り、インターネットは、奸悪(かんあく)な族(やから)に占拠されるのじゃ。

ならば、「人類の精神性=心のあり方」をより誇り高く、高次元のものにするにはどうしたらよいか?
何よりも自分の魂をいとおしがることじゃ。
これは、かわいそうに思うことではない。
自分で自分の魂を可愛く思い、深い愛情をもって、自分の魂と接するんじゃ。

物事の一つ一つを丁寧に観察し、より良い方法を熟考する。
そして、その物事を熟和しつつ事を起こす。
いつもいつも心を込めて、一つ一つの物事と対話して、事を進めることで、今までにない新しい自分と出会う。
正に内なる自分の真骨頂を発揮すべく、新しい自分と出会ってゆくのじゃ。

人間ちゅうのは、表も裏もない新しい自分自身を発見し続けようとしている時は、決して他人を蹴落としたり、変な追従(ついしょう)をして、他人におべっかを使ったりしないもんじゃ。
誰かに認めてもらおう。認めてもらたい…と思うこと=自分を愛(め)でてない=愛していない…ということ。

他人の目を気にせず、自分で自分を励まし、日の目を見ることがなくとも、自分自身に実直であれば、世の中を無意識的に変容させることができるのじゃ。

まさに「百匹目の猿」現象を皆でおこすのじゃ。

そうすれば、世の中は必ず良くなる。

 

明日、この「百匹目の猿」について話してみようかのう。