お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

今日は楠木正成・正季(くすのきまさしげ・まさすえ)兄弟が湊川で自刃した日とか…詳しく教えて!

楠木正成は、後醍醐天皇比叡山に避難させた後に、足利尊氏の大軍を京に入れ、兵糧攻めする策を献じたものの、後醍醐天皇の側近たちは、尊氏を上洛させては官軍の面目が立たないとしてこの策を却下した。
公家達は、
「ただ聖運の天に叶へる事の致す処なれば、何の仔細かあるべき」
として、後醍醐天皇のご威光さえあれば、勝利は間違いない!と、正成に言ったとか…。

「この上は、さのみ議論を申すに及ばず」
後醍醐天皇側近であるお公家さん達に対し、正成は、…最早これまで…と思ったものの、自分の命はすでに後醍醐天皇にお預けしており、心ならずもその意に従ったのであった。
斯くして、京で集めた正成の軍は五百余騎。
これを最期の我が戦(いく)さ…と思い定め、嫡子(ちゃくし=後継となる子・嫡出の長子)正行(まさつら)と「桜井の宿」で別れ、長子を河内に帰したのだった。

これがかの有名な「桜井の別れ」。
正行わずかに十一歳。
正成は、我が子正行(まさつら)に、
「汝(なんじ)はすでに十歳に余れり」
と、自覚を促した後、
「降参不義のふるまいを致すことあるべからず。一族郎党(いちぞくろうとう=主人の血縁と家来とのすべて)一人も死に残ってあらん程は(中略)命を兵刃(へいじん)に堕(お)として、名を後代に遺すべし。これを汝(な)が孝行と思ふべし」(『太平記』より)
と語ったとか…。

こうして足利尊氏との和睦案や軍略までも御上(後醍醐天皇)に受け入れられなかった楠木正成は、幼い嫡子に「義の心」を刻印し、従容(しょうよう=動じることなく、落ち着いているさま)として兵庫へと赴いたのじゃ。

陸路から迫り来る足利軍五十万騎。
対する官軍は五万余騎。
新田義貞和田岬を中心に布陣し、ここで海路から攻め来る足利尊氏の軍勢を邀撃(ようげき)し、陸路の足利直義(ただよし)の軍勢は楠木正成がこれを迎撃して、和田岬と会下山(えげやま)で足利軍を食い止める戦法であった。

然し乍ら水軍を持たぬ官軍は、敵の動向に合わせて軍を動かさざるを得なかった。
かるがゆえに、常に主導権は足利軍に握られていたのじゃ。
正成は、会下山でわずか七百余騎の手勢で孤立奮闘することとなった。

ついに足利軍との激闘を経て、七十人余りとなった楠木正成と手勢の行動を『太平記』は次の様に記しておる。

「機すでに疲れければ、湊川の北に当たって、在家の一村(ひとむら)ありける中へ走り入り」

精魂尽き果て、あとは切腹する場所を求め彷徨(さまよ)ううちに、ようよう自刃の場所を探し当てたのであった。
武者達は皆、体じゅうに手傷を負い、正成は矢傷と刀傷が十一箇所もあったとか…。

楠木正成と弟正季(まさすえ)が共に自決する際に交わした言葉が胸に響く。
「そもそも最後の一念によって、善悪の生を得と云へり。九界の中には、いづこをば御辺の願ひなる」
「七生(しちしょう)までも、ただ同じ人界(にんかい)同所に託生(たくしょう)して、つひに朝敵をわが手に懸けて亡ぼさばやとこそ存じ候へ」

死後はどんな世界で生きたいか?と正成が問えば正季は、七度までも人間として生まれかわって朝敵をほろぼし、國のために働くのだと…笑って答えた。
後に「七生滅賊(しちしょうめつぞく)」の言葉は、正季(まさすえ)のこの言葉から誕生したと言われておる。

正季の返答に対して正成は、
「尤(もっと)も欣(よろこ)ぶ処なり。いざさらば、(中略)忽(たちま)ちに同じき生(せい)に帰って、この本分を達せん」
と、実に愉快そうな顔色で応じた。
この後楠木兄弟は、手に手を取り組み刺し違えて果てたと言う。

公家達の意見によって、軍略に長けた正成の意見が通らない…という理不尽さをグッと飲み込み、諦念(ていねん=道理を悟る心。
また、諦めの気持ち)の思いを胸に秘め、討死(うちじに)覚悟で臨んだ戦い。

大切なものを守るために…、國を守るために…、自らの命を投げ出し…、そしてカラカラ笑いながら身罷ってゆく…。
この潔さ、徳の高さ、高貴なる志の高さ…。
窮地に陥ったとしても、その窮地を招いたのが他者であったとしても、決して人のせいにせず、全て引き受け、あの世まで持って行く。
敢えて迷いの世界に身を沈め、輪廻転生(りんねてんしょう=迷いの世界で何度も生まれ変わること)し、國のために再び戦うという…。

「自分」と言うちっぽけな個人など、さっと脱ぎ捨て達観する。
この日本的人生観は、人間として生きる上で「無上の強さ」を育んでくれる。
安易に自由・平等を振りかざして生きる事を覚えてしまった日本人。
令和こそ日本人の生き方が問われようぞ。

人間としての「無上の強さ」に触れる為、今一度楠木正成をはじめとする「楠木一族」の生き方を、改めて学び直したいものであるのう。