お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

沖縄の高校生と6万円渡した方との出来事についての質問に答えて…!

まず一つ目の「見知らぬ高校生らしき人物に、大金を渡しても良いのか?」だが、いくら相手が憔悴(しょうすい)していたとしても、6万もの大金を渡してはよくない。
というのも、ひょっとしたら目の前にいる高校生が、麻薬を買う場合もある。
新しい犯罪を作ってはならないのじゃ。

そもそも葬式に行くと言う非常事態に、6万もの大金を安易に持ち運んでおる事自体が、由々しき問題じゃ。
日常生活を引き締めることこそ重要であろう。

次に二つ目「お互い名乗りを上げていないのは何故か?とりわけ高校生は何故お金を貸して下さった方との連絡方法を模索しなかったのか?」
お金を渡した方は、兎に角早く航空券を買わせてやりたい一心であるし、自分から言い出すのも気が引けたであろう。
高校生が一言、自分の名前と高校名を言って名刺をもらうなり、少なくとも相手の名前と職業を聞くだけでも良かった。

もっと言うならば、ライン登録するだけで済む事!大した時間は必要ない筈じゃ。
要は、今目の前で起こっている事だけに意識が向いていたに相違ない。

三つ目「何故医師は周囲の人の言葉によって、忸怩たる思いになっていたのか?」
高校生の方から、御礼に関する何らのアプローチもなく、別れてしまった事が、医師をして、「本当に困っていた高校生…」という印象を薄めてしまった。

今回の奇特な(きとく)な方は、埼玉の医師でよく飛行機を利用するらしい。
飛行機内で急病人が出れば、いの一番に、医師だと名乗り出て救護するらしい。
日頃から(職業病かもしれないが…)周りの人の体調や顔色に敏感だとか…。
高校生はよほど憔悴していたのであろう。
その様子から「尋常でない何か?」をキャッチし、今回の行動に至ったと考えられる。

そんなお医者様でも周りの方々から、「騙されているに違いない…」と言われ、不本意な気持ちになっていたようじゃ。

仮に高校生が、名乗りを上げ、高校名だけでも告げ、出来ればお電話ください…の一言でも声かけしておけば、又違った心情になったであろう。

四つ目「高校生は何故財布を落としてしまったのか?」
大事な親戚のおじさんの死によって、気が動転してしまったのであろう。
と同時に、日頃から何事も「フワー」とした感じで時を過ごしていたのかもしれない。
とても性格の良い高校生で、高校生らしい側面を持つ一方、自立的且つ責任ある振る舞いが身についていない。
従って、お金を提供してくれた方に対しても、恰も自分の学校の先生や両親など保護者に接する如く反応してしまい、相手を思いやる事が出来なかったのであろう。
少なくとも相手のラインは聞くべきじゃ。

五つ目「高校生は何故葬式後に、返金の為の行動を起こしたのか?」
ようやく落ち着きを取り戻した彼は、「はたと気づいた!」「お金を返さなくては…!」と。
その一点に対して真摯に取り組もうとし、新聞社に相談するなど行動を起こしている。
新聞社も良い事案であるし、好意的に受け止め協力してくれた。
ネット社会となった昨今、この手の話はすぐさま拡散し今回の再会を後押しする事となった。

六つ目「医師は何故お金を貸したのか?」
本当に困っている事が、医師であるだけにその表情や仕草でわかったのであろう。
人助けを信条とする方だから、当然の様にお金を貸したのであろう。

然し乍らキャッシュレス化が進む昨今、多くの現金を持ち歩く人自体が少数派ではなかろうか?又サラリーマンなら、お小遣い制を導入する家庭も多い。
そんな中で6万円もの現金を日々携帯する人は少なかろう。
よって今回のお医者様の様に、貸したくても貸せない…人も多かろう。

七つ目「二人の再会シーンの現場には多くの報道陣の姿が見られたのは何故か」
今回の出来事は誰が聞いても良い話であり、ほとんど有り得ない話。
昨今の暗い事件を吹き飛ばすのに丁度良い、清涼感溢れるこの話に飛びついたのであろう。
単に良い話…と、表面上の話をするには丁度良い話題だったから。

これがもし医師が与えた6万で高校生が麻薬を買い、これを彼が吸引したり売り捌いたりしていたらどう報道するのだろう。
医師が行った行為は同じでも状況の変化に応じて、「善」が「悪」へと判断される恐ろしさを感じる。

八つ目「高校生は財布の紛失に気付いた際、何故頭を抱え込んだままでいたのか?
おそらくは何も行動できないパニック状態であったと考えられる。
パニックと言えば、最近高齢ドライバーによる、「ブレーキ」と「アクセル」の踏み間違えが問題になっている。
パニック状態は何も運転に限った事ではない。
学生ならば入試で緊張のあまり、パニックになる生徒もいる。
年齢に関わらずパニックに陥らない訓練や精神の強化が必要じゃ。

九つ目「何処かの誰かが6万円を届けてくれたが、この点についての報道各社の報道姿勢についてどう感じるか?
兎に角、耳目(じもく)を集める事に対して貪欲に追いかける。
これがマスコミという名の集団である。
今回の一件でマスコミがやらねばならぬ事は、拾った財布をそのまま警察に届ける「名も無き人」を称える事じゃ。

例え6万円自分の財布に入っておらず、この高校生にお金を出してあげる事は出来なくとも、拾った財布を届ける事は誰でも出来るしやらねばならぬ事。
ただし良心がその心の奥底で燃えていなければならぬ。

財布は落とした人間の不注意で起こった事。
お互いの名前や職業・学校名を口に出して言っておくだけで、今回の件は終わっていた事。
我々が見落としてはならぬ事は、拾った財布を届けた人がいた事である。
この当たり前の事が出来ない世の中になりつつあるから、犯罪は減らない。
オレオレ詐欺」にしても、親が息子を案じるが故に生じる「親心」を利用している。
そんな鬼畜の様な心根が犯罪の根底に横たわっておる。

十)「お金が無くて、この高校生と遭遇したらどう行動すると思うか?」
何よりもまず警察に届ける事。
仮に葬式に間に合わなくとも、警察に届けるのが一番じゃ。

葬式は誰のためにするか…と言えば、亡くなった人のためと、残された人のため。
その残された人が落とした財布。
財布を失くして葬式に参加出来なくとも、死者は怒ったりしない。
寧ろもっとしっかり生きて欲しい…と、死者は残された生者に対して願うもの。
財布紛失の一件が、日常のちょっとしたことと真摯に取り組む契機となるなら、死者にとり本望というものであろう。

我々は現象にとらわれる事なく、形而上で起こっている本質的な何か…と、本気で付き合う事が求められておると言えよう。