『雨月物語;菊花の約』に学ぶ、見えざる世界との繋がり方!(1)
『菊花の約』と言えば、江戸後期の作家、上田秋成(うえだあきなり)によって著された五巻五冊の読本(よみほん)『雨月物語』(うげつものがたり)。
これに収録された短編小説の一つである。
中国白話小説や日本の古典・故事に取材し翻案した、怪異小説最高傑作と言えよう!
『菊花の約』の冒頭では、青々とした春の柳は家の庭に植えてはならない。
交際は、軽薄な人間とするものではない…と語る。
川柳やしだれ柳は、茂りやすくとも秋風にはひとたまりもなく散りゆくもの。
軽薄な人間は交流し易くとも、直ぐに離れゆく。楊柳は何度も春に染まるものの、軽薄な人間はいつしか訪れる日もなくなるのである…と寂寂と語られる。
物語は丈部左門という母と二人暮らしする清貧(せいひん)の儒学者が、ある日友の家に行くと、行きずりの武士が病で伏せっており、左門がこの武士を看病する運びとなる。
武士は軍学者で名は赤穴宗右衛門。
近江国から故郷出雲国の主、塩治掃部介が尼子経久に討たれた事を聞き出雲に帰る途中のことだった。
左門の看病のお陰で宗右衛門は快復。
この間左門と宗右衛門は昵懇(じっこん)となり、五歳年上の宗右衛門が兄、左門が弟となって、義兄弟(ぎきょうだい)の契りを結ぶ。
初夏を迎えて宗右衛門が出雲へ帰る事となった折、「菊の節句」、所謂九月九日重陽の節句(ちょうようのせっく)に再会することを、二人は堅く約束したのだ。
季節は秋へと移り、いよいよ約束の九月九日を迎えたのだが…。
この日左門は朝から宗右衛門を迎える準備に余念が無かった。
準備が整った後は、何度も家の外に出ては宗右衛門を待ち続けていたのだが、宗右衛門は一向にやって来ない。
夜も更けて左門が自宅に入ろうとしたその時、宗右衛門が虚ろな風貌でやって来た。
喜んだ左門が宗右衛門を自宅に招き入れ、心尽くしの馳走や酒を振る舞おうとすると、豈図らんや(あにはからんや=意外にも)これを嫌う宗右衛門がいた。
その訳を宗右衛門に尋ねると、自分は幽霊である…という事を告白する。
塩冶を討った経久が、経久の従兄弟である赤穴丹治を使い宗右衛門を監禁した。
監禁されていては、重陽の節句の約束に間に合わぬ故、何としよう…と思案した結果、「人一日に千里をゆくことあたはず、魂よく一日に千里をもゆく」事を思い出し、自死し幽霊となって、ここまで辿り着いたのだと語った後に、左門に別れを告げ宗右衛門は消えていった。
一晩泣き明かした左門は、宗右衛門を埋葬する為出雲へと旅立って行く。
そこで丹治と出会った左門は、信義のかけらも無い丹治を斬り殺す。
その後、行方を眩ました左門だったが、主君尼子経久は、宗右衛門と左門の信義を褒め称え、左門の後を追わせなかったという。
これがこのお話のあらましである。
この話から学ぶべき人間としての心得や生き方の妙味について明日話すことにする!