お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

『雨月物語;菊花の約』に学ぶ、見えざる世界との繋がり方!(2)

ありとあらゆる「生あるもの」は、全て「死」に向かって生きておる。
ひたすら…ただひたすらに、「死」に向かって「今日を生きる」という酷さ・非情さ!

否、「死」が眼前にあるからこそ、精一杯生き切ることができる…とも言えよう。
かの吉田松陰は、誠心(まことごころ)に忠実に、実直な生き方を貫き通し、三十歳の若さで自刃した。
松陰が敬愛する楠木正成(まさしげ)・正季(まさすえ)兄弟、並びに正成の子息、楠木正行(まさつら)・正時(まさとき)兄弟は、互いに刺し違え散っていったのだ。誠に天晴れ(あっぱれ)な最期であった。

楠木正成湊川での戦いは、負け戦さになることを承知しておった。
にもかかわらず全力を尽くして戦い死地に赴く潔さ。
それだけでは無い。敵を斃(たお)すまで、七回(人間として)生まれ変わるのだ…と、決意する凄み!

本来は負け戦さなどに手を出さぬ男だが、お上の言葉は絶対である。
そんな男の提言を振り切った主上後醍醐天皇は何をお考えだったのか!
今となっては知る由も無い。

『菊花の約』には、死して尚、守るべき道がある事を教えてくれる。
命を賭して、その道を守ることが、自分が生きた証であるかのような…そんな切羽際(せっぱぎわ=最期の土壇場のきわのこと)を見せ付ける。
この根底に何があるのか?それは「生と死」の障壁を軽々と乗り越えて行くほどに、真っ直ぐな生き方があるということではなかろうか?

弟と共に「七生報国」を誓った楠木正成は、今尚、日本人の心の奥深くに棲みつき、大和心(やまとだましい)を、重低音の如く響かせておる。
欺瞞(ぎまん=人を欺き騙すこと)に満ちた日常に、小気味好いほどに別れを告げ、自分の「生」を満喫すれば、きっと生死流転(しょうじるてん)の苦しみとされる「生死の海」をも乗り越えられるのではなかろうか?

見えざる世界はすぐそこに…手で触れられるほど近くに存在し、個々人の「この世」での生き方をじっと見つめておるのである。