楠木正成ってどんな人?何を残したの?(3)
『闘戦経』が語る「運」は五種あるとする。それは1)天運2)世運3)人運4)義運5)作事(さくじ)の5つである。
1)の天運は、自然災害・疾病(しっぺい)・世の盛運・世の衰運の事。
2)世運は、世の中と共に繁栄したり、衰退したりする。
時を司る「時神」様のような時の勢いの縛りによって、運の栄達や窮迫が訪れる。
3)人運は、物事の「機」を察し、「天」の心に触れ、進退去就を自ら悟り、自ら致す事。
4)義運は、守るべき事をしっかり守る。まだ起こっていないことでも守るべき事は守る。
既に起きたことにも一定基準というものがある。こうした事全て当然のこととして受け入れ、「義」たる道理・物事の理に適ったこと、人間として行うべき筋道を守ることが、義運という事。
5)作事は、誠実・温良・恭倹・恭謙、やれるだけ精一杯全力をつくす。その反対に度をすぎてやり過ぎ、厳しすぎて、思いやりに欠ける。
一番大事なことを疎かにし、でたらめでである。運に禍福あり、満ち満ちたり、欠乏したり、長寿と夭折などなど…、各々になることを「作事の運」と呼ぶ。
楠木正成は上記の五つの運を、時と場合に応じて引き寄せ、その運を最大限活かす形で運を取り込んでいたようだ。
然し乍ら後醍醐天皇が、公家の提言を聞き入れた時、楠木正成は今生での運は尽きた…と感じたであろう。
そうであれば七生報国(しちしょうほうこく)、その無念を果たすべく志を我が子孫に繋げ、仰ぎ願わくば来世にあっても志を遂げたい…と考えたようである。
『闘戦経』にある五運全てを理解し、其れでも尚、思うようにいかぬ運の巡りを具に(つぶさに=悉く備わっている様・詳らかな様)繙いてゆくうちに、究極の運の巡り、即ち七生報国の考え方に行き着いた。
かるがゆえに大楠公(だいなんこう)と呼ばれる楠木正成が誕生したのだ。
大楠公が七生を唱え、然も賊を滅ぼし御國の為に働く…という信念が、エターナル(えいえんの)な真理として、「日本人の生きる規範」となった。
「楠木正成」
死して永遠を手中に納めた、稀有なる武人であったといえよう。