お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

新渡戸稲造はどうして『武士道』を著したの?(2)

武士道の支柱「義」・「勇」並びに「仁」と「誠」

「「義」を見てせざるは勇なきなり」
人の道として当然行うべきことと知りながら、これを実行しないのは、勇気がないというものである。(論語;為政)

新渡戸稲造は、武士道の中でも最も厳しい教訓が「義」だと語っている。

「勇気」は、「義」に寄って発動されなければ、徳行の中に数えられる価値はないという。
勇気は平静さ、平常心に裏打ちされている。
武士道の支柱で有る「義」と「勇」は、まさに双生児の如く互いに連関しあっているのだ。

人の上にたつ条件として「仁」の重要性を述べている。
とかく封建的制度の渦中にあっては、武断政治に陥りやすい。
無条件で命と体を為政者に預けた場合、そこには為政者の意志だけが残ってしまう。
ここに影響を与えたのが、武士道における「仁」の考え方だ。惻隠の情(そくいんのじょう=人を労〈いたわ〉しく思う心・憐れみの気持ち)があるからこそ、武士道は廃れ無いのだと言えよう。

また新渡戸稲造の『武士道』には、「礼」を重んじることで、他人への思いやりを表現することも重要だとしたり、「武士に二言はない。」という言葉を裏付けるように「誠」が重視されると説いている。
そして新渡戸稲造はこう続ける。

 武士道における誠実が、勇気以上の高い動機を持っているかどうか、しばしば疑ってみた。日本には「偽りの証を立てることなかれ」という、積極的ないましめの言葉がないため、虚言をしても罪として裁かれず、たんにこれを弱さとして排斥し、はなはだ不名誉なものとされてきた。たしかに、正直の観念は名誉と密接な関係をもっており、ラテン語でもドイツ語でも、その語源は名誉と同一なのである。
新渡戸稲造『武士道』対訳・講談社126から128ページ)


こうして、新渡戸稲造がこの世で最高の善だとする「名誉」の項目に入っていく。

新渡戸稲造が描く武士道にあって、支柱となるのが、「義」であり、その双兄弟が、「勇」であった。
そこに、多くの人々の上に立つために必要不可欠な「仁」の力を必要とすると説く。

『武士道』が奏でる音楽は、人間としての基本の上に、他者への眼差しを忘れない…という、バランスのとれた思考総合力のような心地よいメロディーが奏でられ、読み進むに従って、徐々に心が豊かになってくる。

いよいよ明日は、「名誉」「忠義」について述べたいと考える。