お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

新渡戸稲造はどうして『武士道』を著したの?(3)

「名誉」と「忠義」

新渡戸稲造は『武士道』の中で、

「恥を知る心」は人類の道徳的自覚の最も早い兆候であると私は思う。

とのべ、続けて、

人類(の先祖イブ)が禁断の果実を味わったがため、神より罰を下された、というが、私の考えによれば、最初のそして最悪の罰は、子を産む苦しみでもなく、いばらとあざみのトゲの痛みでもなく、羞恥(しゅうち)の感覚を自覚したことではなかったろうか。つまり、最初の母イブ画、その指に粗末名針をもち、夫アダムが摘んできた無花果(いちじく)の葉を、ふるえながら縫っている姿ほど、哀れでしかも悲しいできごとが歴史上にあったろうか。この最初の不服従の果実は、他に類のない執拗さでわれわれから離れない。
(『武士道』対訳講談社132ページ)

と語っている。

とりわけ日本では、この恥辱への恐怖は尋常ではなかった。

恥となることを遠ざけ、名を得るために、武士の子弟は、いかなる貧困にも耐えた。
また肉体的・精神的に過酷な苦痛にも耐え得たのであった。

もし名誉が得られるならば、命は安いものだとされた。
命より大切なものがあると確信すれば、いつでも命を差し出す用意があったのである。

また「命」を犠牲にしても守らねばならない…と考えられていた考え方に、「忠義」がある。
それは様々な徳が結びついた考え方だと言える。

新渡戸稲造が著した『武士道』の中で、とりわけインパクトのある話は、菅原道真公の子息の身代わりを巡っての、ある役人一家の話である。

菅原道真公は、政敵、藤原時平の讒言(ざんげん=人を陥れるため、事実を曲げ、偽ってその人を悪く言うこと)によって流罪になったが、敵はその一族をも全て滅ぼそうとし、道真公の子息を探していた。

ついに時平公は、道真公の旧臣、武部源蔵がその子を里の寺子屋に匿(かくま)っていることを知り、源蔵に「子供の首を打って差し出せ」と厳命したと言う。
源蔵が身代わりを探していた折も折、寺子屋入りを頼んできた母子があった。

この母子は次第あって、もとより幼君の身代わりとなるべく、寺子屋入りを望んでいたのだった。
この子は幼君と面差しが似ており、年格好が同じであることを承知の上、寺子屋入りしてきたのだ。

定められた日に検視役人が子供の首を確認し、受け取りのためにやってきた。
果たしてこの役人は、偽首(にせくび)に騙されるだろうか?
いよいよ源蔵は刀の柄に手をかけ、その幼子の首を斬った。
検視役人の松王丸は、無残な首を引き寄せて、その特徴を仔細に改め、事務的口調で本物に違いない…と言い放ったという。

ここからは、新渡戸稲造の言葉を借りよう。

人里離れた一軒家では、寺子屋を訪れた母親が待っていた。―中略―彼女の舅(しゅうと)は長い間、道長の恩顧を受けていたが、道長がいなくなって、彼女の夫の松王丸はやむをえず一家の恩人の敵に仕えていた。彼自身は残酷な主君に不忠を働くことはできなかったが、自分の息子は祖父の主君のお役に立つことができた。流刑になった道長の家族を知る者として、少年の首の確認する役目を命じられたのは彼であった。
新渡戸稲造著『武士道』対訳講談社150ぺージ)

人の「命」でさえこれを主君のために捧げる用意があったとする。

「命」は名誉のために捧げられたのだ。
先の話は武士教育の根幹に関わる哀しくも決然とした生きようを表白していることは間違いないのである。