お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

「大峰山千日回峰行(おおみねさんせんにちかいほうぎょう)」って何なの(1)?

山林抖擻(さんりんとそう)とは、山林を歩いて修行することを言う。
この修行自体は、奈良時代から行われていた。
平安時代に活躍した叡山僧、相応(そうおう)によって創始されたのが、「比叡山千日回峰行」である。
これは山林抖擻(さんりんとそう)の一つとされている。

お山での修行には、山居禅定(さんきょぜんじょう)と、山林抖擻するものとがある。
又、両者を併修(へいしゅう)する場合もある。
お山は死者の霊魂が寄り集う他界であり、入山イコール、死後の世界を遍歴する事を示唆(しさ)する。

と同時に、お山は母胎に例えられ、お山で苦行する事で、罪穢(つみけが)れを祓(はら)い、出峰(しゅっぷ)する事で、再生し・蘇り・験力(げんりき)を得(う)ると言うのだ。

修験道の根本道場である「大峰山(おおみねさん)」や「葛城山(かつらぎさん)」などの霊山における抖擻三昧(とそうざんまい)はもとより、地方の修験道霊山でも山林抖擻が頻繁に行われたと言う。

千日回峰行」で有名なのは、比叡山の回峰行である事は言うまでも無い。
そんな中、最も過酷だとされる回峰行がある。それが「大峰山千日回峰行」だ。

大峰山千日回峰行」を満行した大阿闍梨(だいあじゃり)は、千三百年の歴史の中で、たったお二方(ふたかた)しかいらっしゃらない。
そんな厳しい修行を、1999年に見事に満行なさったのが、吉野一山・持明院ご住職であり、仙台市の慈眼寺(じげんじ)のご住職でもある、塩沼亮潤(しおぬまりょうじゅん)大阿闍梨(だいあじゃり)でいらっしゃる。

更に2000年には、九日間にわたる「断食(だんじき)・断水・不眠・不臥(ふが)」の四無行(しむぎょう)を達成され、2006年に八千枚大護摩供(はっせんまいだいごまく)をも満行されている。

大峰山千日回峰行」は、奈良県吉野の山の中が舞台である。
金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王堂から大峰山までの往復四十八キロ、高低差にして千三百メートルの山道を、一日十六時間かけて往復するのを千日間続けるのが「大峰山千日回峰行」なのだ。
総距離は四万八千キロある。地球一周よりも長い距離を、両足のみで歩いて巡るのである。
これを、雪でお山が閉ざされていない五月から九月までの五ヶ月間で行うために、満行までに九年もの歳月を費やすのだ。

「人間存在の根源への旅」を、不惜身命(ふしゃくしんみょう)の志を持って貫き通された大阿闍梨の生き方には学ぶべき事が多い。
よって塩沼亮潤大阿闍梨の「千日回峰行」について、明日詳細に述べたいと考えている。