「ノートルダム寺院」の火災って、本当に失火なの?
4月15日フランス現地時間午後6時50分のこと。
1赤不動991年「パリのセーヌ河岸」と命名され、ユネスコ世界遺産に登録された「ノートルダム寺院」から出火。
火は瞬く間に広がり、一時間で、教会の尖塔(せんとう)が焼け落ちた。
テレビやインターネットを通じて、「ノートルダム寺院」が燃え盛る映像を見た多くの人は、ショックを禁じ得なかったであろう。
1804年に、かのナポレオン・ボナパルトが、戴冠式を行った場所で知られるこの寺院は、ゴシック建築の代表的建築物でもある。
ノートルダムは、1163年に建築が開始され、その後200年弱の年月を経て、ようやく1345年に完成した。
パリ市民を始め、フランス人にとっては、魂の拠り所のような場所でもあるのう。
老朽化した寺院の修復工事中とのことで、足場やら電気配線やらが、複雑に絡みあっての失火ではなかろうか?
少なくともテロではなさそうじゃ。この点だけは少しだけホッとする。
精神の支柱となる寺院が、テロの餌食にならなかった事だけは、不幸中の幸いである。
老朽化していたとは言うものの、今この時期に何故「ノートルダム寺院」が焼けたのか?
この潜在的意味を探って見る必要はあるようじゃ。
フランスで、5ヶ月近く繰り広げられている「黄色いベスト運動」。
これほど長期にわたる社会運動が行われた前例はない。
この運動の不思議さは、右派・左派双方の考え方が、運動に反映しておらぬことじゃ。
この運動で、デモ参加者達を結びつけている要因の一つとして、「人生に対する満足度が極めて低い」ことが挙げられよう。
そんな中でも、大きな不満を抱えるのは、低所得・中所得の境界線上の人達じゃ。
彼らの多くは、失業者でもなく、生活保護を受けるほどの低所得者でもない。
よって、フランスの寛大な社会保障の恩恵を受ける事がないと言われておる。
一方で、英国議会の混迷ぶりが際だっておる。
英国は長く、議会政治のお手本の国だと言われてきた。
ところがEU離脱問題が浮上して以降、混迷に混迷を重ね、ようやくブレグジット(EU離脱)が、10月31日まで延ばされたものの、まだ何も決まっておらぬ。
そもそも近代民主主義と言う政治体制は、17・18世紀の市民革命以降形成されておる。
民主主義の精神は、英国・仏国・米国での各種憲法や宣言に結実し、各国のあり方を決める権利は、国民が持っているとする。
この政治体制の真逆の体制が独裁主義じゃが、ナチスドイツは、民主主義の中から誕生したわけで、民主主義が持つ限界を感じるのう。
今回の英国の混乱もそうじゃ。
国民投票の結果に則り、手続きを粛々と進めれば良いはずじゃが、途中で様々な問題が生じ、二進も三進も(にっちもさっちも)行かない状況じゃ。
今ここで大事な事は、国民自らが賢くなる努力をする事であろう。
自由・平等・博愛などという、自己中心的な考え方だけでは、ラチがあかぬ。
他人が自由になればなるほど、自分の自由が制限されやすいし、平等であればあるほど、違った問題が浮上する。
博愛などと耳障りの良い言葉では解決し得ない問題も多いもの。
國に何かを求めるのではなく、自らが國に何をするか・・。
他者に対して見返りを求めずに何を与え続けられるか・・について、考え続けねばなるまい。
「ノートルダムが燃える!」・・とは、革命だけでは変えられない何か!・・
それは、人間性の向上、霊性の向上への糸口を見つけよ・・と言う事ではないじゃろうかの?