お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

何でも人のせいにする人がいます。こんな人と上手く付き合うには、どうすればいいの?

いいことは自分に、困った事が起これば、他人のせいにする人は多い。
人間は弱いし、弱いが故に卑怯でもある。

救いようがないのは、卑怯である自分に、自分自身が気付かないこと。
人間は弱い精神(こころ)を持つ人であればあるほど、困った事が生じたら、他人のせいにする。

如何せん、そう言う自分自身も、人のせいにしていることが多かったりする。
言わば同じ穴の貉(ムジナ:一見別に見えても、実は同類だと言う事)と言うわけじゃ。

この人は、責任を他人に押し付けているなあ・・と感じたら、「あなたは責任転嫁している云々・・。」などと、口が裂けても言ってはならぬ。
責任転嫁する本人にとって、その問題からの逃避のために、あれこれ心を砕いているのだから、それを的確に指摘されることほど、心地悪いことはない。

人間にとって、何かしら心地悪さを感じる、「その場の空気」ほど嫌なものはない。
心地悪さの正体こそ、その人の「人間としての卑怯さ」を、その場のムードとして自分が感じ取っているのだが・・・。

よって、責任転嫁する「御仁」の、嫌がる言葉を発することはせず、責任を押し付けられた側は、無色透明の空気の如くに振る舞う事が大切じゃ。
いくら責任を押し付けられたとしても、できない事は出来ない・・と、心に決め・・敢えて、言葉にすることなく実践する。

将又(はたまた)、押し付けられた責任を、自分から被ってやろうと思うなら・・、誰にも悟られずに責任を負ってやる。
〈じっさいは、事の顛末をしっかり見聞きしている人はいるが・・。〉

この毅然とした姿勢こそが、平然と責任逃れをやった「卑怯者」の無意識に切り込む手立てとなるのじゃ。

然も責任を押し付けられながらも、怯むことなく、確たる覚悟を持って、責務を全うする。
そんな陰のヒーロー・ヒロインには、大いなる副産物がもたらされるのじゃ。
それは言葉で言い表わせない底力が、ふつふつと湧き上がってくる・・と言うもの。

見えざる手が力を貸している・・と感じるほどの、今までにない底力が、全身を満たしゆくのを感じるであろう。

よって、責任転嫁されても怯まずに、精一杯事に当たる事じゃ。
必ず何か良き事がおこるであろうから・・!