お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

すぐに心が折れそうになります。どうすればいいの?

誰しも一度や二度、心が折れそうになったことはあるものじゃ。
ついつい嫌なことを思い出し、その事によって再び心が折れてしまう・・。
一体何をしておるのか・・と、一人で負のサイクルにはまり込む。
今度はこの負のサイクルによって、心は深刻な複雑骨折を起こす。

こうなったら最後、すり鉢の底に到着したが如く、負のサイクルから抜け出せなくなる。
よって、負のサイクルに入りそうな局面に遭遇したら、迷うことなく、自分を自分の手に取り戻す戦いを始めねばならぬ。
出来ることなら、心が折れそうな出来事が起こった途端、自分を開放し、自己回復するとよからろう。

これを儂は、「自己回復レコンキスタ」と呼ぶ。
その主要要素は、ズバリ「ゆとり」じゃ。ゆとりはどうやって生み出されるのか?

それは自分で、自分自身のことを「超」がつくほど客観視すること。
これ以外ないであろう。
自分を客観視するとは、自分および周りを、冷静且つ公平な目で再度観察し直し、たち起こった出来事に対し、分別ある判断を下す事じゃ。これができる人を、「ゆとりある人間」というのじゃ。

まずい事はまずい事と、肝に銘じた上で整理し直す。
良い事は良いと判断した上で、的確に取り計らう。
時に、中庸なる考え方を取り入れ、考え方自体を修正することも必要じゃ。
こういったプロセスを通じて、自分自身を取り戻すのだが、自分を取り戻すことのみならず、以前の自分より、自己の精神が拡大・洗練される・・という、嬉しい副産物までついてくる。

こうやって自己回復を行うと、解決策まで見つからなくとも、本来的問題点が、明確に浮上する。
ようやく「真相の問題点」が浮き彫りになることで、取り組むべき課題がみつかってくる。
ここからは、「真相の問題点」解決に向かって、真摯に取り組むだけじゃ。

究極の所、生きることの本懐を忘れず、その熱量を日に日に増大させる努力をするかどうか・・がポイントかもしれぬ。