お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

三種の文字を使う日本語は、世界から見てもユニークな言語だと聞きました。これってどういう事なの?

日本語は漢字・平仮名・片仮名の三種の文字と、これに伴う三種の語彙並びに三種の文体。
これらをまとめあげ一つにして「三種統合言語」の様相を呈する…という、極めて特異な文字のあり方をしている。
この言語スタイルが、日本の文化、日本人のものの考え方に反映されておる。

朝鮮語は、漢字とハングルの二種類の文字を用いている。
ところが三種の文字となると、世界中見渡しても、日本語以外見当たらない。

日本語は、単語を「活用」と「助辞」でネバネバと、まるで納豆のように繋いでいく膠着語である。
また、繁雑な敬語を用い、語頭(ごとう=語のはじめの部分)には、決して濁音を用いない。
また主語をあまり必要としない言語であること。…などなど…、日本語は日本語特有の言語的特質を持っている。

そもそも日本語はどこからやってきたか?世界の中のどこに起源を持っておるのか?
ユーラシア大陸北方のウラル=アルタイから来た…とか、南インドのタミルやチベットビルマからやって来た、朝鮮から来た…などなど。
不思議にもシナ大陸からやって来た説は存在していない。

古典的言語学に、シュライヘルの三分法と呼ばれる言語分類がある。
これは、言語の形態から分類するもので、これによれば、意味を持つ語(詞)が孤立的配列を持つ1]孤立語と、意味を持つ語(詞)に付属的名語(辞)を加える所謂2]膠着語、そして関係を表すために語そのものの位置を変えると共に接合手段を有する3]屈折語の三つに分類できるとする。

1]の孤立語には、中国語・チベット語タイ語・中国語など。
2]の膠着語は、日本語・韓国語・モンゴル語など。
3]の屈折語には、英語・フランス語など、アルファベットを用いる多くの言語がある。

一般に孤立語から膠着語が誕生し、膠着語から屈折語が生まれたとされている。
しかしこの分類は、あくまで一定の意義を有するだけのもの。というのも、地勢的視点に立脚すれば、中国語の影響を日本語が受けていたであろうことは、容易に推測できる。

言語学自体は、西欧型の音声・音韻と文法を重視する立場、則ち「はなしことば」中心に成り立っている。
実際は混沌とした無文字時代の「はなしことば」から、人間が文字を獲得して「かきことば」を持つ段階で、各々の言語は一定の文法構造へと収斂していったと考えられる。

孤立語膠着語屈折語という言語における文法形態の分類を可能とするのは、文字を持った以降に生じることである。
言語は、「はなしことば」と、「かきことば」の統一体であるから、「はなしことば」だけでは分類できない。
「かきことば」が誕生して以降、「かきことば」が「はなしことば」を方向づけるのは致し方ない。

日本語がどういった言語かについては、文字化以降の文法や音声の系統を辿り、言語形態の分類以前に、「かきことば」である「文字」そのものに対し、その本質を詳らかにする必要があろう。

そんな中、日本語の特徴を考えると、三つの文字(漢字・平仮名・片仮名)からなる特異性が浮上する。
一言語が三種類もの文字を用いる事は他にない。語彙の多くが漢語である。
日本語はもともと漢語によって作られた、あるいは漢語との関係によって創出された。
にもかかわらず、漢語に吸収される事なく、独自の文字を創り出すことで、漢語で表現できなかったことを表現することに成功した。それらの文字が、平仮名・片仮名であった。

日本語自体は、漢語の影響を受けつつも、そこから文字を独自に発展させ、現在の日本語へと変化したが、これを達成するには長い時間を要したのである。
年月をかけた日本語の変容こそが換骨奪胎(かんこつだったい=先人の詩文の作意や形式を生かしながら、新しい工夫を加えて、独自の作品にすること)の芸術とも言うべき、多様な文字を生み出したと言えよう。

又漢文自体も、日本独自の解読の仕方で下し読みを可能にした点において、画期的であった。

以上の点から、日本語の特異性は他国に誇るべきものがある…と、言えよう。