お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

1853年ペリー来航によって外圧が顕在化しました。この14年後に、大政奉還が行われています。日本語は、この急激な社会変化に上手く順応しました。日本語が名実共に「国語」として成立した理由って何なの?

我々が当たり前のように学校で習っておる「国語」。
時代の風雪や世界の潮流に耐えうる「国語」として成立し、変容し、継続する事は、なかなかに難しいことじゃ。

水村美苗(みずむらみなえ)氏が著した、名著『日本語が亡びるとき‥英語の世紀の中で』に、日本語が「国語」となった二つの理由が記されておる。

ひとつは、日本の〈書き言葉〉が、漢文圏の中の〈現地語〉でしかなかったにもかかわらず、日本人の文字生活の中で、高い位置をしめ、成熟していたこと。

もう一つは、明治維新以前の日本に、ベネディクト・アンダーソンが言う「印刷資本主義」がすでに存在し、その成熟していた日本の〈書き言葉〉が広く流通していたということ。(『日本語が亡びるとき』P158 L4~7)

西洋における「大航海時代」までは、地球上の多くの地域では、まだまだ「無文字文化」が一般的であった。
これに対し、朝鮮半島に近い日本では、すでに4世紀に漢文が伝来しておる。

そこから長い時間をかけ、日本に合った形で、漢文を「換骨奪胎」した結果、漢文訓読の技法が生まれた。
また「女手」のひらがなも発達する。
そして、ひらがなは「現地語」を象徴する文字となった。
カタカナもひらがな同様、漢文訓読から誕生しておる。

ベネディクト・アンダーソンのプリントキャプタリズム(出版資本主義・印刷資本主義)は、そのほとんどがやがて国語化する・・というものだが、日本にはその土壌が明治維新以前に、用意されていた。

明治時代には、この土壌の上に立つことができたお陰で、現在使っている社会科学や自然科学関連の専門用語のほとんどが、訳語として創作されることとなったのじゃ。
西周(にしあまね)は、「哲学」「肯定」「否定」「主観」「客観」「理性」「悟性」「概念」「観念」「現象」等・・数多くの訳語を創った。

これらの訳語は、日本のみならず、中国でも用いられた・・という。
明治時代に多くの訳語が創られたが、日本人が二重構造言語をもつ「日本語」を操るが故に、これらの訳語は、日本語訳をしたと言うよりも、むしろ漢訳した・・感じがするのは、否めない。

かくして英語・フランス語で語られることは、すべて日本語で論じることが出来るようになった。
新しい外来概念や専門用語が入ってくるたびに、その言葉や概念を「真名」として扱いつつも、それを「口語化」し、使い勝手がいいように変化させ、誰の耳にも、目にも、心にも届く言葉へと変容させて(これを翻訳という。)いったのじゃ。

いずれにせよ、明治以前の豊かな日本語のみならず、明治の日本の知識人の努力によって、外来概念や術語を表現する新しい日本語を創作した事は、日本人として誇るべき事だということが出来よう。