お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

蹄脚硯(ていきゃくけん)って何のこと?

日本の古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所の事を「斎宮(さいぐう)」と呼ぶが、平安時代以降は「賀茂神社」の斎王(斎院)と区別するために、「斎王」の事も「斎宮」としたらしい。
「伊勢斎宮」「伊勢斎王」とも称するが…。

そもそも斎宮の起こり…について、少し述べたいと思う。

日本書紀』の崇神天皇記によると、崇神天皇が、ご自分の皇女、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に命じて、宮中に祭られていた「天照大御神」を大和国の笠縫邑(かさぬいむら)に祭らせたとあり、これが斎王の始まりだとされている。

次に垂仁天皇の御代になり、豊鍬入姫命の姪にあたる皇女、倭比売命(やまとひめのみこと)が各地を巡行し、伊勢国に辿り着き、そこに天照大御神をお祭りしたのである。

斎宮」は古代中世において、歴代天皇の即位ごとに伊勢に遣わされた斎王の御殿と、その事務を取り扱う「斎宮寮」と呼ぶ役所からなっていた。
平安時代の「斎宮」には、十三もの司があり、130人前後の官人と600人以上の雑役人がいたという。

役人は文字を書く事が仕事で、筆や墨、硯は必需品であった。
筆・墨の出土はまだであるらしいが、硯は各所からおよそ70点出土している。

斎宮跡からは、「蹄脚硯」・「風字硯」・「円面硯」・「石製楕円硯」・「瓦器風字硯」など多くの硯が出土しているらしい。

「蹄脚硯」は、「円面硯」の台座の部分が、断面三角形のひずめの形に似た脚が連続している硯で、「平城京」や「太宰府」などの役所でしか発見されていない。
おそらく官庁専用と言った特殊性のある硯のようだ。

昭和四十六年に斎宮跡の古里地区から二点出土していて、これによって奈良時代斎宮の存在をうかがい知ることができたのである。

現在これを復元したものがあり、私もレプリカを持っている。
これを用いて字を書くと、古(いにしえ)の秋津洲(あきつしま=日本国・大和国)が偲ばれて、床しく、心豊かな気持ちになるから不思議である。

 

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