豊かさの根源には何があるの?
・自己満足でない本当の豊かさは、何処にあるのか?
・自分が自分自身を喪失する事なく、常に心が満たされているとは、どんな在り様なのか?
これらの問い掛けに真正面から答えることは、難しいと思われがちだ。
然し乍ら、そうとも言えぬ。何とならば、生をもって生を写す様に生きさえすれば、豊かさは、すぐさま手に入るからだ。
生きるとは、自分だけに許された「生」を、余す事なく「命の限り」に生き抜くこと。
生き死にの問題は、実は今ここに自分が存在しているか、否かにかかっている。
たとえ己が肉体が今生にあったとしても、日々怯えていたり、不安の底(そこひ)に沈んだり、何もかもいい加減にしていたら、とんでも無いほど「惨めな自分」と遭遇する。
その一方で、有頂天になって浮かれた日々を送ったり、横暴にも、他者を貶(おとし)める思考に基づいた言動や振る舞いがあったとしたら、それは今生のみならず、後世(ごせ)までも汚しかねないこととなる。
何れも肉体は、この世にありながらも、魂は既に死んでいるのだ。
肉体と魂の住まう場所が異なることほど、生きるに辛いことはない。
まさに日々自分自身が引き裂かれるままに、肉体だけが生きているに過ぎないのだから。
「彼の世千日この世一日」と言って、死後の千日の楽しみよりも、現世の一日の楽しみの方が良い…などと言う人もいるが、そんなことはない。
豊かさの根源には、この世あの世の区別なく、生死を超克する一本の金剛棒のような考え方が貫かれているからだ。
その金剛棒には、こんなことが刻まれているという。
仁(じ ん)を極めれば、徳をもって怨みに報いる
誠(まこと)を極めれば、徳孤ならず必ず隣あり
霊( ち )を極めれば、全てを徳とする
仁を極めると、怨みのある者に恨みで報いず、返って恩恵を施せるようになる。
誠を極めれば、徳のある人間となって孤立する事なく、必ず共鳴者が現れる。
霊を極めることで、あらゆるものの威力・能力を授かることができる。
この金剛棒を早急に求める事こそ、最上の豊かさを手に入れることに繋がってゆくのであろう。