お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

生きがいって何なの?

心底より「生きがい」を感じることができる。
そのためには、「生と死」が、輪廻りんね=生き変わり、死に変わること)する感覚を、日々更新し、増幅させることじゃ。

輪廻といっても、この世から身体(からだ)がなくなってしまっては、「この世の生きがい」を享受(きょうじゅ)できん。
この世で、我が身に、生きがいを、受けおさめて、自分のものとする。
そのためには、一日一日を、死んでも良いと思うほど、懸命に生きぬき、夜、床に就(つ)く時は、十分満足し、安堵して、死ぬが如く、眠りに落ちることじゃ。

そうすることで、一日一日が、「死と再生」を繰り返し、精一杯生ききることができる。精一杯生ききることこそ、人間としての「生きがいの根源」なのじゃ。

不安・不満・絶望があった者でも、あの世にいけば、それらを持って、死ぬことはできん。
無論、その人間の残した不安・不満・絶望自体は、この世にふらふらと浮揚しておるが…。

逆に、希望は、あの世にも持って行けるのじゃ。
この世にも〈希望〉は、残っておる。この〈希望〉の二文字には、慈愛や道理を悟る諦念の思い、哀歓を共にする心等々も、含まれておる。

それらは、今生(こんじょう=この世に生きている間)の証であり、後生(ごしょう=いのりのぞむこと)となって、来世を明るいものにしてくれるのじゃ。

一日一日を、「死と再生の連鎖」として、とらえて生きる。
そうすれば、生きがいを、自分の手で、つかみとることが、できるであろう。
全身全霊で生きぬいてゆけ。