生きがいって何なの?
心底より「生きがい」を感じることができる。
そのためには、「生と死」が、輪廻(りんね=生き変わり、死に変わること)する感覚を、日々更新し、増幅させることじゃ。
輪廻といっても、この世から身体(からだ)がなくなってしまっては、「この世の生きがい」を享受(きょうじゅ)できん。
この世で、我が身に、生きがいを、受けおさめて、自分のものとする。
そのためには、一日一日を、死んでも良いと思うほど、懸命に生きぬき、夜、床に就(つ)く時は、十分満足し、安堵して、死ぬが如く、眠りに落ちることじゃ。
そうすることで、一日一日が、「死と再生」を繰り返し、精一杯生ききることができる。精一杯生ききることこそ、人間としての「生きがいの根源」なのじゃ。
不安・不満・絶望があった者でも、あの世にいけば、それらを持って、死ぬことはできん。
無論、その人間の残した不安・不満・絶望自体は、この世にふらふらと浮揚しておるが…。
逆に、希望は、あの世にも持って行けるのじゃ。
この世にも〈希望〉は、残っておる。この〈希望〉の二文字には、慈愛や道理を悟る諦念の思い、哀歓を共にする心等々も、含まれておる。
それらは、今生(こんじょう=この世に生きている間)の証であり、後生(ごしょう=いのりのぞむこと)となって、来世を明るいものにしてくれるのじゃ。
一日一日を、「死と再生の連鎖」として、とらえて生きる。
そうすれば、生きがいを、自分の手で、つかみとることが、できるであろう。
全身全霊で生きぬいてゆけ。