お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

何をしていても安心出来ず、次の事が気になって仕方ありません。どうすればいいの?

日本人の多くが、常に何かに追われ、何をしていても次の事が気になる・・という「自転車操業的人生」を、送っておるようじゃ。人生は長そうに見えて、思いの外短い。自分の人生を、もっと大事にせにゃなるまい。

日々多忙につき、目の前に迫っていることのみ関心を持ち、其れをこなして行くだけで一日が終わる・・という人がいる。
彼らが陥る病気がある。それは、「不安病」じゃ。
はたから見ていたら、日々安泰で、何ひとつ言う事がないように見えても、毎日何かに怯え、戦々恐々として生きておる。

何に戦々恐々としているのか?と言えば、自分が歩んで来た「過去の足跡」を見て、来たるべき未来を憂い、恐れおののいているようじゃ。
誠に身勝手な心のあり様としかいえぬが、多くの人間がこの「病」に陥っておる。
これを放置すれば、人間としての本懐まで忘却し、「不安病」は、日増しに重篤にならざるをえない。

人間として産まれて、自らの存在が実在化せぬことほど残酷なことはない。
「自己存在の実在化への道」を見失う。
そんな御仁に、「不安病」が蔓延する。ならばどうすれば、「自己存在の実在化」が、スムーズに実現出来るのか?
その答は、「努力が必要な事」、「難しそうな事」に挑戦し続ける・・という、実践力の伴った気概(困難に挫けない強い意気。気骨)を持ち続ける事。これしかないのう。

誰もが簡単な事・やりやすい事・分かり易い事を求め、安易な幸せを志向する。
そんな中で、難しそうな事・やりにくい事・理解し難い考え方を、自分の中に取り込み、じっくり咀嚼・錬成させる。その上で、今まで培ってきた自分の体験や、それらが昇華された経験に基づき、新たな視点を獲得する。
その新たなる視点から物事を判断・実践する。
その時、人は幸せを感じる。その時、人は不安を払拭している。

瞬間・瞬間の挑戦的人生は、その人を幸福にする事があっても、不安や不幸に落とし込むことなどないのじゃ。