お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

何が常識で、何が非常識かわからない。どうすればいいの?

非常識な人間が多い・・と、嘆く人がいる。
ところが、「常識とは何ぞや?」と、問われれば、返答に窮する場合が多い。
常識は、時代や文化・宗教等々・・諸要因によって変わる。

観光地として名高い鎌倉市では、「食べ歩き禁止条例」なるものが、施行される。
鎌倉駅前から、大仏が御坐す『高徳院』辺りには、ソフトクリームや団子、フライドポテトを始め、様々なライトフードを食べ歩きする人で、ごった返しておる。

ズバリ、観光客が鎌倉駅周辺を散策する一番のお目当ては、この「食べ歩き」を謳歌することにあるのじゃ。
ところが、ゴミは出るわ、衣料品店の商品を汚すは・・それはそれは、様々な問題が生じて、「食べ歩き禁止条例」が制定されることになったという事じゃ。

この場合、観光客があちこちに捨てたゴミを、地域住民が処理せねばならぬことや、商品を汚された店の困惑ぶりに焦点が当てられる。
けれど詰まる所、観光客には来て欲しい。
然し乍ら、食べ歩きの弊害に目を瞑る訳にもいかない・・ということであろう。

考えてみれば、日本の常識も変わったものじゃ。
一昔前までは、歩きながら食べるのは、行儀が悪い・・と言われたが、今では観光地での「食べ歩き」はカッコいい・・というように変わってきておる。

これは見た目が、変化しているように見えるが、実は日本人の「心の根っこ」が腐ってきているとも言えるのう。

食べ歩きした上に、そのゴミを持ち帰らず、ポイと捨てる行為の醜さ。
店に入って、そこにある商品を汚してしまうほど、いい加減に食べ歩く馬鹿さ加減。
何よりも、今、手にしている食べ物への感謝と、それを生み出した自然や人間の努力に対する敬意が、全く見られない。ここまで人間は堕ちるのか・・と思えるほどじゃ。

さらに怖ろしいのは、このいい加減な「食べ歩き」ブームが、一般常識として、観光地では、ほぼ許されているという事実。

今や日本人の常識は、人を直接的に害する事さえなければ、「個人の自由」の名のもとに、自らの欲望のおもむくままに、何をしても許されるようになっている事じゃ。
これは殺人とほぼ同じぐらい、罪深い事なのじゃ。

常識の判断は、これまた人間として自分がどう生きようとしているかにかかっておる。
かつて、「食べ歩きは行儀が悪い・・。」と言った、含蓄ある先人の知恵は、常識という名を借りて、日本人の規範を示したのであろう。
今ここに生きている常識が、「先人の知恵」の賜物なのか、「ガセネタの知恵」かを判断するのは、個々人の真摯な生き方にかかっておるよ。

海外からの観光客が激増している日本にあって、世界に誇れる常識を構築するのも、日本人の使命なのじゃ。