お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

定期試験がない・・!宿題もない・・!東京都千代田区立麹町中学校の、この取り組みは、「目的思考」だとか!これってどんな考え方なの?

麹町中学は、皇居の半蔵門から南西へおよそ400mに位置する公立名門中学校!
近くには、国会議事堂や総理大臣官邸をはじめ最高裁判所もある。言わば、日本の中枢機関が集中する重要地点に位置する公立中学と言う事ができよう。

ここの工藤勇一校長によって、学習や学校行事における取り組みの見直しと、その実践が行われておる。

工藤校長は、本来の勉強の意味を明確にする事で、生徒たちの勉強に対する姿勢を、本来の意味へ糺す努力を惜しまない。
則ち、生徒達が『分かる』『分からない』を自らが自覚し、分からないことを分かるようにする。
何かを学ぶ上で当然のことを、敢えて、学びの『第一義』としているのだ。

全ての生徒に同じやり方・同じ扱い方をしない。
とはいうものの、言うは易く行うは難し!
そこで定期試験なし!宿題(ほとんど)なし!と言う大英断を、工藤校長は下したのだ。

生徒の成績をつけるには、定期試験は都合よい・・という事実を、真摯に受け止め、本当の学力を上げるため、この英断は決行されたのだ。

目的や意義を喪失し、定期試験の成績向上・・と言う形に囚われてしまう・・。
人間社会で頻繁に起こる「形骸化」から抜け出すには、現実を現実として、ひたむきに、真面目に受け止めねばならぬ。
それは、厳しい道であろう。

今だに小学校では、漢字といえば、100字帳に、同じ字を沢山書いて覚えておるようじゃ。
これはもう難行としかいえぬ。
こんなことをしているうちは、そこに書かれている漢字をしっかりモノにして、使いこなすことは難しくなる。

話しは少し逸れたが、一律の宿題を出す事は、個々人の学力を伸ばすことに繋がらない・・・という考え方が、工藤校長の中にあるようじゃ。

確かに中学生に限らず、大人でも、何らかの課題が出された時に、100%出来なくとも、八割がた出来ると安心してしまう。

まして中学の宿題であれば、クラス全体で八割出来れば上等、上等。
生徒と教師は、その成就率80%の結果に安堵する。

その一方で、簡単過ぎる宿題を出された「能力の高い生徒」にとっては、意味のない宿題をやらされて、自分の時間を奪われてしまう。

わかりきった問題でも、宿題だから「やらねばならない!」と考えて、苦行のようにやる生徒もおる。こんな馬鹿らしいことは無い。

「学力を伸ばすための学習」が、手段であるはずの「宿題(菌)」によって、大切な学力向上のチャンスが、駆逐(くちく)される。
これを工藤校長は、『目的と手段を履き違えている』としている。
校長は、手段が目的化している教育内容の一例として、次の内容を挙げている。

学習指導要領で定められた道徳や総合学習の時間を埋めるために、作文や目標を頻繁に書かせたり、体験学習後の新聞制作等・・。
「こんなの必要ないよ!」と言える生徒を育てる必要があるのに教育現場では、逆のことをしている・・と。

校長は親や先生の言うことばかり生徒が聞くようになったら、危機感を持った方がいい・・とも言う。
これは自分で自分の事を考える癖をつける事で、学力と共に、コミュニケーション能力とも言うべき人間力が培われ、他者の協力を仰ぐ力が、おのずと身備わってくる事を示唆しておるのであろう。
人間関係の複雑さの中で、誰とでも仲良くなれるものでもない。

ならばどうやれば、そこそこ上手くやっていけるか・・を考える方が、現実的で有意義じゃ。

本当の学力!本当の人間関係!本当に自分らしい生き方!令和を迎えるにあたり、頭を柔軟にして考え直してみるのも良かろう。