「自己実現」って何なの?
「自己実現」という言葉は、数年前まではよく流行っておった言葉じゃ。
米国の精神分析学者エリク・エリクソンは、青年期を「モラトリアム」の時期と考え、「アイデンティティの確立」に向かうまでの選択に迷う猶予期間とみなした。
青年期は、あれもしたい…これもしたい…あれにもなりたい…これもいいかも?と縦横無尽に迷う時代。
しかし具体的行動に結びつくには時間がかかる。
その結果やりたいことがまとまらず、あれもこれも中途半端なものとなったり、やりたいことの準備すら整わない。
日本の「精神分析学の草分け」と言われる古沢平作(ふるさわへいさく)氏に師事した精神科医、小此木啓吾(おこのぎけいご)氏は、1977年豊かな社会に育って、社会人としての当事者意識が希薄で大人になろうとしない当時の若者を「モラトリアム人間」と規定した。
小此木啓吾氏は、モラトリアムというのは、真剣で深刻な自己探求の期間だとしている。
然し乍ら、日本では真剣で深刻な自己探求をする若者は殆ど見当たらない。
いつまでも理想・空想の世界に浮遊する住人の如く、フワフワと「自分探し」を追い求める。
意識的に社会に貢献することをせず、自分とその周りの事だけ考える若者が増えたように思える。
「自己実現」という名のもと、非正規雇用者が増産され、ワーキングプワを生み出し、引きこもりを増加させた。
今や40代50代の引きこもりも珍しくない。
いつまでたっても大人になりきれない『ブリキの太鼓』的大人が増産された事実が横たわっておる。
『ブリキの太鼓』とは、ドイツの作家ギュンター・グラスが、1959年に発表した長編小説の事。
この小説は精神病院に入院している30歳のオスカル・マッエラートが、看護人相手に自らの半生を語る形式になっている。
オスカルは誕生時に既に知能は成人並みに発達を遂げ、且つ自分の成長を自分の意志でコントロールする能力を持っていた。
オスカルは自分が成長する事を恐れていた。
しかし父がオスカルが3歳になったら「ブリキの太鼓」を買い与える…という話を聞き、3歳までは成長することにしたのだ。
体は幼児だが精神年齢は成人のオスカルは、冷徹な眼で世の中を見つめている。
彼の悪魔的所業のために、オスカルを愛してくれる彼の周りの人々を、次々と死に追いやっていく。
オスカルはまさに良心を持たない人間として描写されておる。
ここには少年の「屈折した心」が、深く根をおろしている。
臆病でそれ故に他者を慮(おもんぱか)ることのできない…そんな人間としての未熟さが露呈する物語。
オスカルは傷つき易く、壊れやすく、弱々しい存在。
大人になる事を拒否するが故に、自分を直視出来ない哀しい男の物語が『ブリキの太鼓』なのだ。
逆に言えば、傷つきやすくとも、傷を舐めつつ前を向き、壊れやすくとも自分を自分で奮い立たせ、弱々しくとも勇気を出す生き方をして行きたいものじゃ。