お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

幸田露伴が『努力論』を書いているとか!どんな内容なの?

『努力論』の初版自序(初版の著者自ら書いた序文の事)には次のように記されておる。


努力は一である。しかしこれを察すれば、おのずからにして二種あるを観る。一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は当面の努力で、尽心竭力(じんしんけつりょく)の時のそれである。人はややもすれば努力の無功に終る事を訴えて嗟歎(さたん=嘆く事)するもある。然(さ)れど努力は功の有と無とによって、これを敢てすべきや否やを判ずべきではない。努力ということが人の進んで止(や)むことを知らぬ性の本然であるから努力すべきなのである。
幸田露伴『努力論』23ページ岩波文庫


『努力論』と銘打った幸田露伴のこの書は、救いの書である。
人生の幸・不幸を様々な方面から分析・検討する事で、絶対的不幸を最小限にくい止め、如何に勢いよく豊かに生ききる事ができるか…を示唆(しさ)しておるから。

露伴は、運命とは自らが造るものだと言う。
運命を切り拓くためには、自分自身が自己改革し変容しなければならないと説く。

自己変革を促す際に重要な役割を果たすのが「気」だと言うのだ。
そこで様々な種類の「気」を分析しておる。
とりわけ「気の張り」を重要視する。
気が張る事で大いなる仕事が可能になるとしているのだ。
気が張ることを妨害する様々な状態についても細やかに説明する。

露伴の言う「努力している、もしくは努力せんとしている、ということを忘れていて、我がなせることがおのずからなる努力であってほしい」

この状態になるべく、自分なりの努力を重ねたいものじゃ。