お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

上皇后陛下の御講演をまとめた御本『橋をかける』が意味する事とは何か?(2)

辛さやかなしさの中を生きぬく為に!

上皇后陛下は先の大戦疎開を体験なさっておられる。
疎開中に父上が疎開先まで持って来られた三冊の本があった。
一冊は「日本名作選」、あとの二冊は「世界名作選」だった。

この中にドイツの詩人で作家のエーリッヒ・ケストナーの『最初の絶望』(または絶望第一号)と言う詩が載っていたのだ。
それは次のような内容であったと陛下は述べておられる。

ケストナーの『絶望』は、非常にかなしい詩でした。小さな男の子が、汗ばんだ手に一マルクを握って、パンとベーコンを買いに小走りに走っています。ふと気づくと、手のなかのお金がありません。街のショー・ウインドーの灯はだんだんと消え、方々の店の戸が締まり始めます。少年の両親は、一日の仕事の疲れの中で、子供の帰りを待っています。その子が家の前まで来て、壁に顔を向け、じっと立っているのを知らずに。心配になった母親が捜しに出て、子供を見つけます。いったいどこにいたの、と尋ねられ、子供は激しく泣き出します。「彼の苦しみは、母の愛より大きかった/二人はしょんぼりと家に入っていった」という言葉で終わっています。
(『橋をかける』上皇后陛下 文春文庫26ページ4行〜12行)

ここには避けることのできない「貧乏」という現実を、じっと噛みしめながら生きていく幼い子供とその母の姿が表現されている。
このことを上皇后陛下は、

人間が生きている限り、避けることのできない多くの悲しみに対し、ある時期から子供に備えさせなければいけない、という思いがあったのでしょうか。
(同書27ページ11行〜12行)

と述べておられる。


このお言葉の中に、上皇后陛下の大いなる慈愛を感じとる事ができるのだ。
悲しいこと、辛いこと…それらを一生体験することなく人生を行き渡ってゆくことなどできはしない。
かるが故に、人が「生きる」というのは、苦しみ、かなしみ、辛さ…等々、多くの厳しさに耐え、忍んで、その厳しさを生きる原動力とする。
その為には「母の愛より大きい苦しみ」をも受容せねばならぬことを知らねばならない…ということではなかろうか?

人生の厳しさに耐えうる人間となる為に、その厳しさの中から、一筋の灯火(ともしび)を見つけ出し、その方に向かって生きていく。
一度は絶望したとしても、その絶望をも超える人間となって立ち上がるのだ…。
絶望を超えるためには、幼い頃より「生きる」ための準備が必要なのだと上皇后陛下はお考えだったのではなかろうか?

日々楽しい方、嬉しい方を向きたくなるのは人情というもの。
しかし人の一生を想うとき、辛いこと、苦しい事から逃げずに向き合っていく事こそが、真なる人生を形づくっていくことになるのであろう。