先生が先生を苛(いじ)める事件が発生しました。どうしてこんなことが起るのでしょうか?
10月4日、神戸市教育委員会が衝撃的事件を発表した。
それは、神戸市須磨区の市立東須磨小学校に勤務する20代の男性教諭が、昨年以降、同じ東須磨小の同僚教諭4人から苛めを受け続けていたという事件だ。
4人から「ハゲ」「ボケ」「カス」などの暴言を吐かれたり、車内で飲み物を零(こぼ)されたり、ロール紙の芯で、尻を叩かれたりしたという。
ついには、目に激辛ラーメンの汁を塗られ、羽交い締めにされた上で、激辛カレーを無理矢理食べさせたりもした…と云うのだ。
この被害教諭は4人から、同僚の女性教諭に、無料通信アプリで、性的メッセージを送るよう強要されたこともあったという。
この4人はどんな先生か?といえば、30代男性教諭が3人と40代の女性教諭が1人。
4人とも被害教諭の先輩らしい。
加害者である4人は、児童の「いじめ防止」の取り組みにも関わっている先生達で、教員の中ではリーダー的存在だったという。
9月から病気欠勤していた被害教諭の家族から、市教委に嫌がらせの訴えが寄せられ、ようやく事の重大さに気づいた市教委は、10月から件(くだん)の4人を休ませ、4人を7日付で東須磨小に異動・兼務させるとしている。
これまた手緩(てぬる)い対処の仕方だ。
この事件については、別の先生から、嫌がらせ行為について、6月に教頭に相談があったらしい。
ところが東須磨小は、市教委にこの件について、具体的説明をせずに、7月には「校内で解決した」と報告している。
ところが9月になって被害者家族が訴えたことによって、事件の内容が詳(つまび)らかになってきたということだ。
実に馬鹿馬鹿しく情けない事件だが、ここに現今日本の教育の闇の部分が内在化されているように思う。
というのも、限りなく偏狭な世界に身を置き、年齢や経験、時には出身校によるヒエラルキーが形成される「学校」という社会。
ここで行われることは、一種の治外法権的権力が存在する場でもあるのだろう。
そこに自己保身に長(た)けた、己の来し方(こしかた)を省みず、人間として誕生した意味を考えることすらせず、只管(ひたすら)安寧(あんねい)なる行く末を希求する人間が多くいたとしたらどうだろう。
そんな有象無象(うぞうむぞう)の先生達がいる学校には、未来はないのだ。
日本の学校に必要なことは、「日本人の高貴なる精神」を育むべく、聖職者としての自己錬成に努める教員が増える事であろう。
そのための研修を行い、煩雑な事務的業務を軽減し、自己を高める時間を確保すべきではなかろうか?
輝かしい日本の未来は、「教員の生き方」そのものにかかっていると言えよう。