お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

弁証法って何ですか?(1)

弁証法(dialectic)」とは、意見(定立)と反対意見(反定立)との「対立と矛盾」を通して、より高みを目指し、さらに上位の解決法を模索し、認識(統合)に至る哲学的手法のことである。
このプロセスは、正・反・合と要約される。

古代ギリシャの「弁論術」と「問答法」に、「弁証法」の源泉があると言っても過言ではない。
かのソクラテスプラトンにあっては、イデアの認識に至る方法として「弁証法」が用いられた。
アリストテレスは、前提からの推理を弁証的とし、学問的論証と区別している。

カントは、「弁証法」を「仮象の論理」と呼び、「弁証法」は錯覚的で虚しい推理を指すとした。

シュラエルマッハーは、主体の「世界認識」と「神認識」を深めるための根本的学問としての「弁証法」を構想した。
これを対話的思考によって、「思考」と「存在」というのを、動的に一致させたのである。

しかし「弁証法」といえば、誰よりも有名なのが、ヘーゲルであろう。
ヘーゲルは、西洋哲学の伝統を体系化した人物である。
正をテーゼ(=肯定)と呼び、反対意見である反をアンチテーゼ(=否定)・この二つの矛盾、対立する立場を共に否定しつつ生かして行く、アウフヘーベン(=否定の否定・高次元での肯定)のプロセスを経て、より高次の立場たる統合への道を歩み、合と呼ばれるジンテーゼへと辿り着くのだ。
因みにドイツ語で「アウフヘーベン」というのは、保存する・高める・棄てるなどの意味を有している。

ヘーゲルは、人間の歴史も自然も、全てが「正・反・合」という三段階を経ることによって、物事が進展・発展する…と考えたのだ。

またマルクス・エンゲルスは、唯物論に立脚し、ヘーゲルを摂取しようと試みた。
それは「唯物弁証法」と呼ばれ、彼らは「自然、人間社会及び思考の一般的な発展法則についての科学」だと主張した。

さらにキルキケゴールは、神と人間との質的断絶を唱えつつ、宗教的実存へ至る…そんな高みを目指す人間存在を「質の弁証法」を駆使して説明したのだ。
彼は、ヘーゲルのそれを、「量的弁証法」だと非難したのである。

また日本初の独創的日本哲学者として知られる西田幾多郎は、全ての対立・矛盾を統一的に説明する主・客 分化以前の「純粋経験」を深める根本原理を絶対無としての「場所」「弁証法的一般者」と考えた。
これによって、「絶対矛盾の自己同一」の「弁証法」を提唱したのだ。「無」をその哲学の根っこに据えることで、禅的形而上学が打ち立てられ、その世界観からして、西洋哲学を包括できたとする考え方もある。

明日は西田幾多郎の「弁証法」について話してみよう。