今年の「国語世論調査」について教えて!(1)
文化庁は、平成30年度の「国語に関する世論調査」結果を、本日10月29日発表した。
この調査は国語への理解や意識を深めるために、平成7年度から毎年実施されている。
今回の調査では、16歳以上の男女3590人に面接し、1960人が回答したらしい。
この数字を見ると、日本全体の国語への理解や意識を調べるわりには、母集団が少なすぎる。
しかも面接調査なのに、55%ほどしか回答していないのも腑に落ちない。
これは原宿か何処かで、アイスクリームを食べ歩きしているような人に調査を実施したのか?
彼女、或いは彼らに、立ち話状態で調査を実施した結果の回答あるいは無回答という結果なのだろうか?
調査実態についての詳細な情報を得ていない為、何とも言えないが、一万人以下の母集団から、日本全体を推し量ることはできないのではないか?
こんな安易な調査を文化庁が実施する事で、中学・高校時代にしっかり学んでいない若者達が、漢字の意味や読みを間違えても恥ずかしがらない…という、常識人が備えるべき国語力の基礎までも蔑ろにする方向に向かなければ良いが。
確かに言葉は生き物である。
よって時代、時代によって、読み方や意味が変移すること自体は致し方無い。
然し乍ら、今日本で起こっている「国語」における真実の姿を、安易な調査で推し量ることは、好ましく無いと思うのだ。
更には日本語をもっと大切に育み、発展させようとする「知的文化」の必要性を感じる。
江戸時代、日本古来の数学と言われる「和算」は、町人たちの間でも話題になり、「算額」と呼ばれる算法を使った問題が、神社・仏閣に掲げられた。
神仏に対し、「私はこんな難問が作れるようになりました」として、御礼の意味も込めて、自分の考えた問題を神仏に見て頂く為に、和算の問題を「算額」に著し、奉納したらしい。
「算額」の存在の裏には、庶民に浸透していた、已むに已まれぬ「算術に対する情熱」が感じられる。
かつては、日本には「算術」という学問を身近に感じる文化が育っていたのだった。
現在の日本には、残念ながら、本当の意味での「学問を楽しむ…」という文化が育成されているとはいえない。
今の日本に必要なのは、漢字が書けるとか、その意味が理解できる…といった、クイズのようなものではなく、真の意味での「学びを楽しもう…」とする、已むに已まれぬ知性への「敬意と探求」を望む文化なのである。