お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

本日未明「首里城」が焼失したと聞き驚いています!

沖縄・琉球王国の歴史・文化の象徴で、沖縄県那覇市にある世界遺産の「首里城」が焼失した。
今年4月15日に発生したフランス・パリの「ノートル・ダム寺院」の火災と相通じる感情が想起し、朝から大層ショックを受けた。

首里城」は、1429年から1879年までのおよそ450年間。政治・文化の中心として、琉球王国を下支えした城として知られている。
かつて「首里城」は、琉球王国の国王とその家族が居住する王宮(宮殿)であると共に、王国統治のための行政機関「首里王府」の本部として機能していた。
いわば皇居・首相官邸・国会議事堂のすべてがひとつになった最重要場所であったのだ。

本日31日未明、午前3時前から明け方にかけて、正殿で火の手があがり、正殿はもとより、北殿・南殿が全焼した。城内では、10月27日から11月3日まで、那覇市三大祭の一つである「首里城祭」を開催中だったと言う。

また11月2日と3日の二日間は、「万国津梁(ばんこくしんりょう)の灯火」というキャンドルイベントが実施される予定だった。
これは夜の「首里城」に、たくさんのキャンドルを置き、「首里城」を幻想的に照らし出すイベントである。
30日から31日にかけて、このイベント関係者は準備に余念がなかったという。

鮮やかな朱色に彩られた美しい「首里城」。
この美しさ故に、2000年の「九州・沖縄サミット」では、夕食会場として使用され、それを記念した二千円札には「首里城」のシンボルである守礼門(しゅれいもん)が描かれている。

又、サミットが開かれた2000年12月には、世界遺産に登録されている。
他にも日本の「100名城」にも選出され、来年の東京五輪では、沖縄の「聖火リレー」のスタート地点となるなど、沖縄の精神的部分を支える重要な場所であった。

首里城」は、今までに4回焼失の憂き目にあっている。
1度目は、1453年、琉球王朝の王位争いの中で焼失した。
2度目は、1660年、3度目は、1709年、4度目は1945年の太平洋戦争によって焼失したという。

歴史的にも文化的にも価値のある「首里城」。
何よりも沖縄の人たちの心の拠り所である「首里城」が、一日も早く再建されることを願っている。

1945年の焼失から長きに亘り再建し続けられていた「首里城」。
この最後のピースが埋まったのが、今年の2月だと言うから、何とも言えない気持ちが沸き起こってくる。

一日も早く出火原因が特定され、再建されることを祈念している。