お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

聖書(Bible)が英語に与えた影響について教えて!(3)

どうして聖書は「契約の書」だとされるのか?

バイブルは「Old Testament」と「New Testament」に分かれておる。
これを日本語訳すれば、「旧約聖書」と「新約聖書」となる。
Testamentという言葉は、遺言という意味を持っているが、「神と人」との間に交わされた「契約」の意味も含有しておる。
それ故、日本語訳されたものには、「契約」の「約」という言葉が入っているのであろう。

人類には自由意志=選択の自由と、それに伴う責任(responsibility)が与えられておる。
しかしここで重要なのが「責任」というものの背後に潜む考え方。
則ち「責任」を裏支えする「約束」、言葉を変えれば「契約」の考え方が横たわっておる。

バイブルによれば、人類の歴史と言うのは「神と人との契約」や「人と人との契約」を破ることから始まっている。
契約を破る事によって壊れてしまった「神と人間」との関係や、「人間同士」の関係を修復する作業を行うため…の歴史が始まった。

バイブルとは、「約束=契約」を破った後に、人類に与えられた新たなる「契約」。
これをペグにして始まった壮大な「人類」の「歴史的記録」だと言うことが出来よう。
そのために、バイブルには多くの「契約」に纏わる単語が出てくる。

例えばcovenant[契約=神と人との約束のこと]・pledge[誓約・契約]・promise[約束]・swear/swore/sworn[誓う]・oath[誓約]・vow[請願する]などが、数百回使われている。

ところがこれらの単語を上回るほど用いられている単語が、must/must not/shall/should/ought など。
これらはいずれも感情重視の「助動詞」である。

日本語で「言質(げんち=後日の証拠となる約束の言葉。)を取る」と言う言い回しがある。
英語にあっては、こと「契約」にまつわる単語選びに細心の注意を払っているようである。
そこで用いられる単語自体の意味の軽重(けいちょう・けいじゅう=軽微なことと重大なこと)によって、使用する単語が微妙に違ってくるほどに、こと「契約」にまつわる言葉は英語は豊富であり、欧米人はそれらの言葉群から、慎重に選び抜かれた(契約に関係する)単語を的確に使い分けておる。
例えば次の二文を例に挙げて考えてみよう。

1)You must not smoke here.
2)You are not supposed to smoke here.

1)は相手の意志に関係なく、半ば強制的に禁煙を命じる表現である。
一方2)は、あなたの責任において禁煙という約束を守って下さい…というニュアンスが漂ってくる。
mustやmust notが、全面的に「義務や禁止」を押出すのに対して、be supposed toは、自主性並びに責任性を問うている。

「契約の書」とも言えるバイブルには、こと細かな単語を駆使して、どうしようもない人間をも、契約という括りを与える事で、より高みを目指す仕掛けが施してあるようで、非常に興味深い。

又このバイブルの影響を諸(もろ=まともに)に受けた言語の一つが、英語で有り、英語を学習すること=文化としての宗教を知る礎となる…と考える昨今じゃ。