お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

日本語の不思議―2 (漢字とアルファベット その1)

漢字、平仮名、カタカナという三種の文字と、各々に付随する三種の語彙や其々の文体とそれらを統(す)べることを可能為らしめている「日本語」という言語。
こういった日本語の凄みは、他言語には全く見られないものである。

今より4千年ほど前に「文字」が誕生する。
「文字」を書くという営みは、「かく」事のカテゴリーに属する、絵画や文様を描(か)き、彫刻を欠(か)くことと、深い関わりを持つ。

そんな中にあって、書き言葉が成立するや否や、たちまちのうちに、絵画・文様・彫刻は、書くことから離脱し、各々が其々(それぞれ)の表現として、「絵を描く」や「文様を施す」といった具合に独立していった。

文字が誕生したことで、「話し言葉」と「書き言葉」が成立した。
世界には大旨(おおむね)三千を超える言語があるとされる。
これらの言語の多くは、「話し言葉」と「書き言葉」の双方を有する。

そんな中で、東アジア諸国で用いられる「漢字」と、西欧諸国で用いられる「アルファベット」の二つの系統言語には、実に大きな相違が認められる。

漢字は、一つひとつが特定の意味や概念を表す「表意文字」で、アルファベットは、一つひとつが音声を表現する「表音文字」となる。
例えば、漢字で「霧」と記せば、水蒸気が凝結し、無数の微小な水滴となって大気中に浮遊する、煙の様に見えるものだとわかる。

一方、アルファベットでは「fog」となる。
一文字ずつ表せば、「f」「o」「g」となり、「f」だけでは自立し得ない。
にもかかわらず、「霧」も「f」も等しく文字とし、其々を、表意文字表音文字と認識される点については違和感がある。
英語のfogもアルファベットの綴り字によって、始めて「霧」に相当する言葉となる。
表音文字であるアルファベットであっても、言葉として成立する限りは、表意的になる。

何れにせよアルファベットは、ギリシャ人やフェニキア人達が、古代エジプトで使用されたヒエログラフ(象形文字)を、「話し言葉」を書き記すために、発音記号の様な文字に変えたところから始まっている。
本来的には、表意文字である象形文字を、表音文字に変換させてしまったのだ。

一方漢字は、紀元前千四百年頃に誕生した象形文字の甲骨文を、一千年程かけて換骨奪胎(かんこつだったい)し、文字を「点と線」によって表現する文字へと変換したことで生まれたものである。
共に表意文字である象形文字に端を発しながら、発音記号の様なアルファベットと、表意文字としての構造を保持しつつ表音文字になったシナの漢字。

明日は、漢字が日本に流入し、日本語の三種類の文字を駆使する「日本語が成立した点」について詳しく述べたいと思う。