日本語の不思議―3(漢字とアルファベット その2)
日本語は如何なる言語か?について考えてみたい。
まず日本語は何処からやって来たと考えられるか?といえば、
1)朝鮮半島からやって来た説。
2)南インドのタミルやチベット説。
3)ユーラシア大陸北方のウラル=アルタイ説
…などなど、諸説があるものの、中国からやって来たという説はない。
言語形態に立脚した「シュライヘルの三文法」と呼ばれる「言語分類」がある。
これに拠れば、
1、「孤独語」と呼ばれる、意味を持つ語(詞)が孤立的に配列される言語。
2、「膠着語(こうちゃくご)」と言う、意味を持つ語(詞)に付属語(辞)を加味する言語。
3、「屈折語」とされる、語そのものが、関係を表すために、一部を変更すると同時に、接合の手段を有する言語。
世界の多くの言語は、この3つに大別されるという。
1の「孤独語」の代表格は、中国語・チベット語・タイ語・ベトナム語である。
2の「膠着語」は、我らが用いる日本語が代表格であり、他にモンゴル語・トルコ語・朝鮮、韓国語がある。
3の「屈折語」は、英語・フランス語に見られるアルファベットに根ざした多くの言語がこれに属する。
何れにせよ、この分類は、あくまで一定の意義を持っているに過ぎない。
何となれば、孤立語の中国語を取り囲むようにして、粘着語であるモンゴル語・朝鮮、韓国語・日本語が存在するという、地勢的言語地図が形成されている事実が横たわっているからだ。
にも関わらず日本語の起源は、中国語にあると言う説は存在しない。
これは従来の言語学が、「話し言葉」を中心に言語を据えているからだ。
日本語と中国語を比べると、中国語が、曖昧(あいまい)さを許さず、言明する言語であるのに対し、平仮名を有する日本語は、自由自在に助詞(助辞)表現を駆使し表現する「柔軟言語」である。
日本語は、話し手の性別・年齢・社会的地位・職業・出身地まで表白するような、微細且つ繊細な表現が可能となる。
中国語(漢語)が「言葉の言明性」を有するのは理由がある。
文字化する以前に、大陸に数多く存在した諸語は、カオス状態にあり、それらの言語は、漢字の成立によって、漢字に吸収され、漢字に吸収されない言葉の多くは廃棄されていったと考えられる。
何れにせよ、日本語は漢字・平仮名・片仮名の三種の文字から成立する、世界でも稀なる「言語体系」を有している事は間違いない。
日本語の語彙の多くが漢語であることからも、多くは支那大陸から流入した事は明らかであろう。
然し乍ら日本語は、漢語(中国語)に呑み込まれることなく、寧(むし)ろ、漢語を換骨奪胎(かんこつだったい)することによって、平仮名・片仮名を創出し、三種類の文字を定着させた世界的に見ても、稀有なる言語であると言えよう。